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あなたは一体、何者に、誰になろうとしているの?~健全な自分らしさとは~
2015年03月03日
先月、アメリカ旅行の最終目的地・シカゴの友人宅に滞在していた時、
友人のジェフ、アニータ夫妻と3人で、自宅でテレビを観ながらおおいに盛り上がったのが
こちらの写真に写っているエンターテイメントの様子。
ちょうど何も知らないまま、グッドタイミングで、アメリカ国民が大熱狂する
その一大イベントの日にシカゴに滞在していたのですが、
これは、アメリカではとても有名なイベント、スーパーボウルのハーフタイムショーの様子なのです。
つまりはフットボールの試合なのですが、
その日は朝からテレビでスーパーボウルのニュースばかりやっていて、
アメリカ人の会話もスーパーボウルの話題ばかり、そしてこの日は
ほとんどの人が街から消えてしまう・・・と言われているくらい、
猫も杓子もスーパーボウル観戦なんだそうです。
そして、そのハーフタイムショーには今が旬のアメリカを代表する歌手が出演するとあって、
試合と合わせて、このショーを楽しみにしている人たちも多く、
僕たちも、リアルタイムでそのハーフタイムショーを観て盛り上がっていました。
ちなみに2015年は、ケイティ・ペリー。歌謡曲に疎い僕でも知っている歌手です。
ちょうど僕がオーストラリアから帰国する前後に流行した曲があったので
僕もオーストラリアの街中などで聞いおり、それでたまたまた知っていたのですが、
演出もド派手で、いかにもアメリカ人が喜びそうな内容でしたよ。
沖縄では、夏の甲子園で地元の高校が出場して、その試合が放送される時間帯は、
いつもは大渋滞する道から車が消え、街が静まり返る・・・ということが本当にあるのですが、
スーパーボウルの時はアメリカ中がそれと全く同じ状態になり、
試合に加えて、こういうエンターテイメントも加わるので、
賑やかなシカゴの街も、その時間帯だけは人がほとんどいない不思議な感覚でした。
僕たちはこのハーフタイムショーを観てから、普段は人気で予約が取れない
レストランに3人で行くようにしており、ジェフやアニータの読み通り、
この日はその予約が取れないレストランにもすんなりと入ることが出来て、
ジェフは時折、携帯電話でスーパーボウルの試合結果をチェックする・・・というほど
アメリカ国民に愛されているイベントなんだな・・・と改めて実感した次第です。
アニータは試合そっちのけで、ケイティ・ペリーの歌を熱唱しながら、
レストランでも、「あの衣装、演出は良かった~!」と興奮が冷めない様子でしたが、
レストランの周囲の客を見渡すと、やはり皆、スーパーボウルに関しての話題で
持ち切りだったので、こういうアメリカの一部分を感じられる良い時期に
偶然、その場に居合わせることが出来たのは僕にとっては良い思い出となりました。
閑話休題。
このケイティ・ペリーは歌手、そしてスーパーボウルはフットボールというスポーツであり、
それは誰もが分かりやすい形で認識しやすい存在でもあります。
全く話は変わってしまうのですが、普段、生活をしている中で、
「あなたは一体、何者に、誰になろうとしているの?」とツッコミを入れたくなるような
発言、生き方ばかりをして、その存在があいまいにボヤけて
迷走ばかりしているような人を見かけることがあります。
たとえば、僕はナカトリモチという霊能者の仕事を主軸にして生きる人間で、
だからこそ、このブログにしても、勉強会の講演や、その他の活動にしても、
そのほとんどが、霊的世界の話題か、スピリチュアリズムに沿った生きる叡智にまつわることか、
そういうことばかりを発信し続けていますし、またそういう生き方をしています。
僕自身の存在自体や活動を知る人であれば、おのずと無意識のうちにでも、
「山野本=霊的世界」という図式が出来上がってしまっているのですが、
これは、僕がそのような生き方を主軸にしているからに他なりません。
サラリーマン時代、局アナとして働いていた頃、
それが特にテレビだけではなく、ラジオパーソナリティとして
ラジオの仕事に携わるようになった時に強く感じたことは、
「パーソナリティ」ってわざわざ呼ぶのは、その人らしさということだろうけれど、
僕は無理して自分を演出する技術も器用さもないし、
霊的世界のことや、スピリチュアリズムについてのことに関してしか造詣は深くないから、
これしか喋ることは出来ないや・・・と開き直ったことがありました。
だから琉球放送では、局アナにも関わらず、
局の公式ブログだろうが、テレビやラジオの放送だろうが、
ニュース番組の仕事の時以外で、自分の発言が許される時は可能な範囲内で
自分が持てるものだけを出していく・・・という信条で、
その活動を続けさせてもらった経緯があります。
そして僕自身、放送という分野も勿論ですが、ブログやその他の活動に関しても、
またそれ以外の人生そのものにしても、その第三者の何かしらの活動に触れて、
「あぁ、あの人らしいな。」とダイレクトに感じられる人というのは、
僕は基本的に大好きで、素直に自分を生きている人なのだと感じています。
自分の人生を偽っていない、存在がボヤけていない、
明確に「あっ、これは、この人らしいな。」というアイデンティティが
しっかりと確立されている人たちというのは、それらに触れるだけで
僕は清々しい気持ちになるのです。
このブログを携帯電話でご覧下さる方には表示されないのですが、
このブログをパソコンでご覧下さる方にはパソコン用の表示画面になり、
その画面の右側には僕が普段から読んでいる
個人的に親しい友人たちのお気に入りのブログやHPのリンクが貼ってあります。
そしてそれらを読んでいて思うのは、皆、年齢性別も文章の書き方や
表現方法、価値観、活動する分野、生き方そのものは全く違うのだけれども、
それらを読むと、確実に「あぁ、あの人らしいな。」とダイレクトに思えるものばかりなのです。
要するに、自分に素直に生きている人たちであり、
それらに触れていると、その人らしさがダイレクトに伝わってくるので、
きっと普段から自分というものを、しっかりと見つめて
自分なりの信条をもって生きている人たちなのだと思います。
そこに文章の長短、内容、表現方法なんて一切関係なく、
やはり、その人らしさがダイレクトに伝わってくる・・・としか言いようがないのです。
これとは逆に、「あなたは一体、何者に、誰になろうとしているの?」という
ちょっと筋違いな無理をし過ぎている人たちも世の中には大勢いて、
こういう生き方は、僕にとっては、とても不愉快というか自分の信条、交流の対象外となります。
僕はナカトリモチというスピリチュアリズムを専門にしている人間なので、
毎日、毎日、飽きずに同じようなことばかり繰り返し更新していますが、
それは、それが僕の生き方の主軸であり、誰に何と言われようが好きでやり続けてきたことであり、
だからこそ、そういう内容になるのも自然な流れなのです。
ですが、ここ最近は、全く別の分野で活動すべき人間なのに、
それに沿った内容を表現すべきなのに、
領海侵犯をして、スピリチュアリズムの真似事のような言動をとったり、
「あんた、その分野と違うやろ!」と思わずツッコミを入れたくなるような
筋違いのことばかりをやろうとして自分を見失い、迷走ばかりしている人たちを見かけ、
僕はこういう痛々しい生き方をしている人たちが理屈抜きに大嫌いです。
僕自身、元ラジオパーソナリティという、「自分らしさ」について
それ相応の年月向き合ってきた経験から、
自分の本分を見失って右往左往迷走ばかりしている人たちに
お伝えすることがあるのであれば、1つ。
とにかく自分を偽らない生き方、等身大で生きる生き方を徹底的に意識づけしましょう・・・と
声を大にしてお伝えしたいです。
本当に自分の存在を明確にし、理解できる人たちに「この人=こういう人!」という
ある程度の自分の存在を分かってもらう努力をするのであれば、
他人の誰かのつまみ食いのような表現方法や人生の物真似、発言の物真似、
はたまた、節操もなくあれこれやり過ぎるようなことは
絶対にやってはいけないと思っています。
何故ならそういう自分の経験からではない物真似や
そのような浅はかさからくる言動は、見抜く人は必ず
「誰かの表面的な言葉の受け売り」「付け焼刃な知識だな。」と
ハッキリと見抜くからです。
スピリチュアルも、自己啓発も、新興宗教も、それ以外の自分の分野の活動も・・・と、
あれこれ良いとこどりばかりしているようでいて、
本当に薄っぺらい存在にしか映らない痛々しい人なんていくらでも存在します。
昨日のブログでも少し触れましたが、
客のために良かれと思っていろいろな商品を置き過ぎた結果、
お店に商品が多すぎて、そのお店のコンセプトやオーナー自体、何をお勧めしたいのかが
ボヤけて、お店全体のエネルギー、そしてその人自身の人生が滞ってしまうのと全く同じ仕組みで、
自分が何者かになろうとして必至にあがくのは結構ですが、
そんな迷走ばかりしているようでは、いつまで経っても
欲求不満な自分探し、中途半端で薄っぺらい不細工な人生しか歩めないと思うのです。
「この人=こういう人!」というダイレクトに伝わってくる何かを探すのは
とても簡単なことで、まずは本当の意味で自身の身の丈を知る努力をすること。
自分の才覚が何であるのか、興味関心のある分野は何であるのか、
それでいて、それを表に出して認知されるほどの、
またはそれらを駆使して貢献できるほどの技術、能力があるのか、ないのか・・・。
そしてその根本には、一生涯かけてでも、他人に認められなくても、
否定されたとしても、それでも「好き!」という本物の気持ちがなければ
絶対にその人らしさには繋がらないもので、
それがないと、どこかで無理をしている感、自分以外の誰かになろうとしている感、
つまりは心の弱さが浮き彫りになって周囲に伝わっている・・・という状態になっているので
やはり、それらを見ている側、触れている側が痛々しく感じてしまいます。
その人たちにとってみれば、余計なお世話かもしれませんけれどね(笑)。
自分以外の分野には手を出さない、余計なことは一切しない、
つまみ食いをしない、中国や韓国などで量産されるブランド物のバッタモンのような
陳腐で情けない生き方をしない・・・。
本来であれば、人として当たり前のことだと僕は感じるのですが、
節操のなさ、悪い意味でのボーダレスが、このような自分レスで
迷走ばかりしている人たちを生み出しているような気がしてなりません。
それも、これも、すべて社会情勢や世の中の流れの責任ではなく、
あくまで本人の責任です。
自分が一体、何者なのかくらい、冷静に見つめて
それぞれの立ち位置、方向性で生きていけない人は、
本当にどこで何をしようが、どんなに立派なことを言おうが、
それらしい活動をしようが、全く説得力もありませんし、全てが痛々しく映ってしまいます。
明確に自分はこういう人間だ・・・と、それを生き様で、
毎日の生活の中で実践できる人生ほど幸せなことはありません。
自分とは、どんな生き方をする人間なのか・・・。
たまには真剣に、冷静に感じてみるのもよいかも知れませんね。
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Posted by 山野本竜規 at 10:54
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