山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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「助けて!」と言われても、僕は助けられません。

2015年02月08日

「助けて!」と言われても、僕は助けられません。写真は、シカゴで美味しいベトナム料理のお店に行った時
同席していた皆で歓声をあげて、その微笑ましい様子を
眺めていた、赤ちゃんがメニュー表を真剣に見ている図。

この赤ちゃん、メニューを読む姿が大人そのもので、
どっしりとした風格があり、その姿を見ているだけで
「将来が楽しみだね。」と皆で笑い合っていました(笑)。

このベトナム料理店はシカゴのダウンタウン郊外にあって、週末の夜に行ったのですが
40分ほど入口のところで待ったくらい、お店の中は大混雑していたほどの人気店。

実は、メニューを読んでいる赤ちゃんたちは、
僕たちが並んでいた1組前のお客さんで、約40分間、時々、この赤ちゃんや
お父さん、お母さんたちと会話をしながら、名前が呼ばれるのを待っていたのです。

この赤ちゃん、生まれてまだ8ヶ月だそうですが、
表情も豊かで、お父さんお母さんが話しかけるのを1つ1つ
良いリアクションで返事をしていたので、とても可愛らしくて
お店の順番待ちの行列の人たちのアイドルになっていたほどです。

それにしても、何度見ても、本当に大人みたいな後姿で風格がありますよね。

当たり前のことですが、この子はこの後、アメリカ人として育ち、
これから英語を話すようになり、アメリカという国でとりあえずは生きていく宿命なのですが、
やはり、宿命というものは、改めて自らがこの世に生まれてきた意義を考えざるを得ない
とても大切なキーワードの1つだな・・・と感じています。

赤ちゃんは、生まれてくる前に自らのこの世の環境を
全て納得した上で、人間として生まれてきます。

それは国籍にしても然り、性別にしても、体質にしても、体型、顔の造りにしても、
身体に先天性の障がいがあるのか、ないのかにしても、両親にしても、家庭環境にしても、
世の中の情勢にしても、それら全ての状況を良しとして、
良しとして・・・というより、それら全てが自らの魂の成長、勉強になる材料だと判断して
それらを霊的世界と協議した上で、「この環境で精一杯、生き抜いていく。」と
覚悟を以て大きな決断を下し、生れてきているのです。

その記憶は、勿論、オギャーと生まれた時に、
そのほとんどは消されてしまっているので誰もそんなことは覚えていませんが、
生まれ育った国、国籍、関わっている親兄弟、自分の身体、体質なども
全て自らが引き受けてこの世で生きているのが僕たち人間でもあります。

霊的世界の観点から「魂の勉強になる。」と選んだ環境なので、
この世の人間のように都合の良い価値観で、それらを選ぶことはしません。

「もっとお金持ちの家に産まれたい。」とか、「もっと健康な身体で。」とか、
もっと「美男美女で。」とか、「もっと優しい理解のある両親のもとに。」とか、
「もっと住み心地の良い国で。」など
この世の価値観からすると、子供の成長にとっては、
その「もっと」のほうが、より良い環境と思えることであったとしても、
あの世の価値観では、それらが、その魂にとって良い経験となる場合も、
その逆になる場合もあるので、それぞれの魂の課題に合った最も最適な環境で
生まれてくることになるのが、あの世のルールでもあります。

こういう、生まれた直後や大人になるまでの子供時代、
自らの力ではどうしようも出来ない人生の流れの部分を「宿命」と呼びますが、
宿命は絶対に変えることは出来なかったとしても、
その宿命の部分、魂の基礎の部分をしっかり整えて、
それから先の人生は、自らの意志で自由に組み立てることができるので、
この部分は「運命」と呼び、だからこそ、運命は自らの力でいかようにでも変えることが出来る
おおいなる可能性が含まれている部分でもあるのです。

こればかりは人の数だけ、その人の課題、学び、成長するにあたって
克服すべき人生の道のりがあるものです。

自分の顔や体型にずっとコンプレックスを持ち続けなければいけない、
またはそういう課題と向き合っている人は、
過去の人生を生きてきた中で、顔や体型で全ての人を判断していたのかも知れません。

今生でお金に苦労し続ける人生を送っている人は、
過去の人生を生きてきた中で、お金にルーズであったり、そのことで
周囲に迷惑をかけてきた人生を送ったのかも知れません。

その逆で、身体に何かしらの先天的な障がいをもって生まれてくる魂たちは、
勿論、ケースバイケースですが、
「この世で不自由さを経験しながらも、魂を輝かせていきたい。」と
普通の人では選ばないようなハードルの高い道を選んで生まれてきた
志のとても高い魂である場合も多いような気がします。

別に過去のことなんて拘る必要も、気にする必要も全くありませんが、
今、僕たちがこの世で生きている環境そのもの、
それぞれが向き合っている課題、問題そのものにこそ、
僕たちが敢えて、平和で愛に満ち溢れたあの世(霊的世界)から、
わざわざ、苦しみや悲しみ、大変さ、喜びなど、全ての感情が入り乱れる
この世に生まれてきたのか、その紐解きが出来るキッカケとなるものです。

大雑把な僕の考え、捉え方では、
勿論、その詳細を1つ1つ見つめていくことも必要ですが、
そんなことを一生涯かけてやっていく必要は全くないと感じています。

あなたが今、向き合っている生活、仕事、人付き合い、人生の中で、
うまくいくこと、そしてうまくいかないことを、しっかり自らの中で認識して、
うまくいかないこと、何度チャレンジしても難しいと感じることにこそ、
そこが、今、この世に生まれてきて、何度でも向き合うべき、
チャレンジし続けるべき課題であることが多いものなので、
そこをしっかり見据えて、淡々と丁寧に1日1日を生き抜いていけば、それだけで十分です。

僕が過去に所属していた海外のエネルギーワークの団体では、
本来向き合うべき今という時間を大切にする人たちよりも、
過去のトラウマのこと、過去だけではなく自らの内面の弱さや
滞りを見ていくことだけにとらわれ過ぎて
しっかり前を向こうする人たち、現実の仕事や人付き合い、人生と向き合う
大切さを忘れてしまっている人の割合が圧倒的に多く、
未だに、グズグズ、ウジウジ、自分のちっぽけな内面の詰まりに囚われ続けて
右往左往しているような、幸せそうに見えない人たちが数多くいます。

もともとのその団体の主旨は、多分、とても健全で
今を生きるために、これから先の人生を健全に生きるために、
それらの過去世療法のようなエネルギーワークが
存在していたのかもしれませんが、
そこに集まっている多くの人というのは、全くそれとは真逆のことをやっていることに
気づいていない人ばかりだったような気がします。

だからこれは団体のトップにも責任があります。

その都度、その中途半端な行為が目的ではなく、
その先にある今を生きるという部分に意識を向けて生きていくことを
何度も何度も何度でも、そこに集う人たちに伝えなければいけない・・・という
とても大切な部分を完全に怠っているからです。

過去の自分と向き合うこと、自分たちが何故この世に生まれてきて、
何のために生きているのかを感じることは、ある程度は必要なのですが、
僕たちがこの世に、わざわざ勇気を出して生まれてきているのは、
そんな過去のことをほじくり出して、気の遠くなるような作業をするためではありません。

とりあえず、今、向き合うべき人生を、
いやっ、しっかりと今と向き合わなければいけないからこそ、
今、向き合っている生活、仕事、人付き合い、人生から目をそらさず、
そこから何かしらの気付きや魂の成長を得ていく覚悟がなければ、
一生、全てこの世でうまくいかない理由を過去世の責任にして逃げ続けたり、
中途半端なエネルギーワークだけに頼って、現実から目をそらし続けるような
痛々しい人生を送ることになると思います。

僕はそういう人たちの手助けは、どんなに求められたとしても一切やりません。

実際、過去に所属していたその海外のエネルギーワークの団体で
ずっとエネルギーワークの訓練を続けている人たちの中で
何か上手くいかなくなると、必ずその都度、もうそことは関係がない僕に
助けを求めてくる海外の人たちが複数いるのですが、僕は全て無視し続けています。

「今、私の心の中に過去からの苦しみが残っていて、
どうしてもその苦しみから逃れられない。何とかならないかな?」などと、
別に命を落とすわけでもないのに、とても恵まれた環境で生活しているのに、
何をそこまで深刻に悩み続け、苦しみ続けるのか僕にはさっぱり理解できず
そんな下らないことで悩み続けるなんて、とても腹が立ってきます。

世の中を見渡せば、明日命を落としてしまうかも知れない状況で
生きなければいけない人たちも大勢いるし、今日の食べ物にも困っている人たちもいる。
病気で苦しむ人もいれば、戦争で苦しんでいる人もいる。

そんな状況の中で、たかが過去世だか何だか分かりませんが、
自分のちっぽけな苦しみだけに囚われて、
病気をしている訳でもない、食べ物に困っている訳でもない、
周囲の人たちに苦しめられている訳でもない恵まれた環境で生きているにも関わらず
目の前が真っ暗だなんて、なんて贅沢で我儘な人たちなんだろう・・・と
僕は素直に憤りを感じるのです。

まさに、こういう人たちこそ、贅沢病。
そして、こういう贅沢病で自分の人生に欲求不満、いつまで経っても
自分探しをし続けるような人たちが、その団体にはあまりにも多かったのです。

だから僕はそういう助けを求められたとしても、お金をいくら積まれたとしても、
そんな下らないことの手助けなんて一切やるつもりはありません。

これは意地悪をしているのではなく、本人がそういうちっぽけな枠から卒業して、
現実と向き合う覚悟を持たない限り、一時的なカウンセリングや
気休めのようなエネルギーワークは麻酔薬にもならないほど役に立たないからです。

物事の本質に気付くために、エネルギーワークをやっているはずなのに、
それとは真逆で中途半端なことばかりに気を取られて
今を生きていけない人たちが、日本国内、海外問わず、
こういうエネルギーワークに傾倒しやすい残念な人生の流れを持つ人たちが
あまりにも多くて、とてもうんざりしています。

人は必ず、何かしらの目的、もっと言えば克服すべき課題を持って
この世に勇気を出して生まれてきているものです。

その理由なんて最初から分かってしまっていれば、
学びにはなりません。

迷路のゲームが楽しいのは、自ら考え、行き止まりを経験しながら
ゴールにたどり着く過程そのものであって、
最初から迷路の答えが分かっていれば、それはそれはスムーズだけれど
そこに学びも感動も喜びも、何もないのと全く同じこと。

だからおおいに迷って結構、悩んで結構なのですが、
いつまで経っても、前を向けずに、周囲の有難さに気付けずに、
自分のことだけしか考えられないような人たちというのは、
たとえ一時的に周囲が何かしらの手助けをしたとしても、
また自分の心の弱さから殻に閉じこもって、中途半端に滞り続けるもので、
僕は、こういう残念な人たちを公私共に嫌というほど見てきた経緯から、
中途半端な手助けは一切しないようにしています。

「助けて下さい!」「今、とても悩んでいます!」と助けを求められたのであれば、
「自らを助けるのは、自分でしかないから、僕は助けられません。」と
ハッキリとその都度、お答えしています。

これを中途半端に「自分がそのお手伝いをします。」とやってしまう、
本当に中途半端なカウンセラーや似たような職業の人たちが多いのですが、
この時点で、プロ失格だと思います。

それが本当の意味で、その人の魂の成長にとって有意義なものなのか、
それとも依存をさせてしまう中途半端な行為なのかを見分けられない人たちに
人の心にアプローチする本物のカウンセリングなんて、絶対に出来ないからです。

2月に入って帰国した途端、待ち構えていたかのように
一気にこういう中途半端な「助けて!」メールが届くようになり、
僕は人助けがお役目ではなく、あくまでその人の人生がより良い方向になるための
ほんの道案内くらしかできない立場であることを理解して欲しいのですが、
これもなかなか浸透しません。

「助けて!」と言われれば、「自分を助けるのは、自分しか出来ませんよ。」と
いつもお答えしています。これ以外、真実の答えが見当たらないので。

少なくとも僕自身、「助けて下さい!」と言われたら、
その人を助けるつもりは毛頭ありません。

自ら気付き、自らその枠から出て広い視野にならない限り、
霊的世界の真実のメッセージは、しっかりその本人の心に届かないことを
これまで何度も何度も嫌というほど、経験してきたからです。

自分を助けるのは、あくまで自分自身だということ。

そして、それが出来てこそ、ようやく霊的世界のサポートや、
心ある人たちと良いものを共有できるようになってくる・・・という真実を
1人でも多くの人が理解できる日が来るように、
僕自身、自分なりのスタイルでナカトリモチの活動を続けていこうと改めて思いました。


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Posted by 山野本竜規 at 13:05 │心の在り方 (2,645)▼