山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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「心」は詐欺師と同じです。~時には自分の心を疑いましょう~

2014年10月08日

「心」は詐欺師と同じです。~時には自分の心を疑いましょう~今朝は東京出張の準備などのために
太陽が昇る前に起きて荷造りなどをしていましたが、
ふとベランダに出て、朝日が昇る瞬間を眺めていると
静寂に包まれた夜の時間から、明るい光に包まれた朝への
切り替わりが本当に見事で、
しばし、その変化を心静かに満喫していました。
夜から朝に切り替わる瞬間って、本当にいいものですよね。

僕は学生時代の4年間、
大手新聞社が大学の学費と生活費を全て保障する代わりに
その新聞社で朝夕の新聞配達や集金業務などを担当しながら大学に通う
新聞奨学生として勤務する制度を利用していたため、
朝は深夜2時半起きで、朝刊の配達が終わるのが朝7時頃という生活を
毎日送っていました。

ただ、大変なことばかりではなく、
僕は深夜から早朝、そして完全な朝の時間に切り替わっていく
あの感覚がとても大好きで、
これは絶対に飽きることがなく毎日外に出て肌で感じる空気とか、
街の匂いとか、経済活動が始まる前と直後の感覚とか、
その全ての流れを五感で満喫することが何よりも好きでした。

その影響なのか、今でも時々、早朝3~4時頃に目覚めて
朝に切り替わる時間を外に出て感じるだけで、
特に理由もなく嬉しくなったり、満足してしまったり、
その日、1日の始まりが、それだけで気分爽快になったりするので
個人的には、とても安上がりなリフレッシュ方法だと感じています。

「今、当時と同じことをやりなさい。」と言われれば、
出来ないことはないにしても、相当躊躇するだろうな・・・と思いますし、
実は、あれから随分年月が流れているにも関わらず、
今でも時々、夢の中で、「新聞配達の時間に寝坊した!」とか、
「配達の家が分からなくなった!」「遅配した!」など
ちょっと焦った気持ちで目覚めることがあるほど
僕の中では、印象的な経験だったのでしょう。

あの青ざめる瞬間というのは、なんとも居心地の悪い感覚で
目覚めて、それが夢だと知った時の安堵感は、
そりゃもう、例えようがないほどのものです(笑)

ちなみに、皆さんにも同じように、
それぞれの人生経験の中で強烈に印象に残っている
生活習慣とか生活環境下で過ごしていた時代の夢を、
随分時間が経っているにも関わらず見てしまう・・・ということが
大なり小なりあるのではないでしょうか。

僕の場合は主に2つで、
先述した新聞奨学生時代の青ざめるような夢と、
もう1つは、アナウンサーとして生放送のテレビ番組に携わっているのに
そこには一切原稿が用意されていなくて、
「次の原稿はどこだ!?」と焦ってしまう夢を
(これは新人時代、実際に経験したことなので。)
時々、見ることがあります。

僕は夢の専門家でもなければ心理学者でもなく、
ただの霊的世界の通訳者なので
夢のことについてはよく分かりませんが、
要するに、自分の人生の中で、特に大変だった出来事が
魂には強烈に刻み込まれていて、
時々、その時よりは心身共に平和に暮らしているであろう、
ある意味、平和ボケ状態の自分や、今ある幸せをしっかり噛みしめるために、
自らの魂やおおいなる存在の人たちが、
おのずと喝を入れてくれたり、気づかせてくれているのだろうな・・・と勝手に捉えています。

勿論、今、平和ボケをして完全にだらけているという訳ではなく、
今の仕事には今なりの大変さ、今の人生には今なりの課題があるのは事実です。

しかし、個人的に、僕の人生を振り返ってみると、
やはり、過去よりも、その過去よりもっと先の時代、
そして過去よりも、今のほうが、確実に
心身共に満たされた人生を送らせてもらっています。

夜から朝に急激に明るい方向へ変わるような人生ではなく、
徐々に徐々に、ゆっくりと上り坂を昇っていくようなペースではありますが、
それでもはやり、過去よりも今のほうが断然、幸せです。

何故なら、完璧ではなかったにせよ、
自分なりに「今日も、とりあえずしっかり生き抜いた、生き切った。」という
1日1日を着実に積み重ねているからだと思います。

人の心というものは、実に曖昧なものなので、
その日の気分、出来事によって本当によくコロコロ変わるものです。

特に気分が良いときであれば問題ないのですが、
その逆の時、何かの失敗やアクシデントが起こった時は
どうしても、自分自身に寛容になれなくて
「なんて、自分はダメなんだ!」と自己否定をしてしまう人も多いかと思います。

ですが、それはやはり、とても気まぐれで曖昧な
心というものが、本当にその時の気分で勝手に判断しているものです。

ここで言う「心」の正体は、
ここ数日、このブログでご紹介している魂の「幽体」という部分

この幽体という部分は、実に曖昧でその日の気分でコロコロ判断が変わり、
自己否定したり、自己肯定したりするもので、
感情過多タイプで、「私は直観型」と信じてやまない人たちの多くは、
まさに、この幽体主体で、ムダに感情の起伏を激しくしているだけの
決して発展的とは言えない生き方をしていることがほとんどです。

そして僕は、この幽体こそ、最も信頼できない、
いつも疑ってかかるべき相手だと感じています。

何度でもお伝えするように、皆さんが普段から「心」と表現している
おおよその部分は、「幽体」の部分です。

毎日、色々な出来事によってコロコロ変わり、
自分が好きになったり、自分が嫌いになったり、
周りが嫌になったり、周りを受け止められたり、
そりゃもう、毎日本当に忙しいくらい目まぐるしく激変しています。

言い方は悪いのですが、ある意味、
その場の状況によって都合の良いことばかりを言う
詐欺師と同じですよね。

この世の詐欺師を快く思わず、しっかり疑う人は多いのに、
自らの中に潜む、実に曖昧な自分の「心」と表現される幽体を
疑う人は、ほとんどいないことでしょう。

何故なら、「心」は1つであり、
その心と表現される魂には、
「幽体」と、物事の本質を見抜く「霊体」の2つが存在するという
霊的世界の知識もまだまだ普及していませんし、
仮にその知識があったとしても、どの感情が幽体で、
どの感覚が霊体なのか、それらを
しっかりと自らの感覚で理解して、それらを選り分けることが出来る人は少なく、
全て一緒くたになってしまっているのが普通だからです。

きっと、僕たちのような霊能者の中でも、
この本質を理解して、その感覚をしっかり理解でき、
自分自身、そしてその他の第三者の幽体と霊体の違いを認識できる人は
ほとんどいないと思います。

何故なら、その見えないものを相手にしたり、
エネルギーワークに関わる本人たちが
その違いを認識できず、知覚できず、実感できずに曖昧なままで、
そういう経験すら持ち合わせていない中途半端な状態だからです。

このスピリチュアル業界で仕事をしている8~9割の人たちは、
基本的にそれらに該当し、直観のみで、幽体のみが全てで
中途半端な活動内容で生きています。

何度でも飽きずにお伝えしますが、心というものは
毎日、色々な出来事があり、そこに翻弄されて、
勝手な解釈で、自分を好きになったり、嫌いになったり、
それは他の誰かや職場や組織、世の中全てにおいて同じで
毎日、コロコロ変わります。

詐欺師を信用する人がいないように、
心と呼ばれる曖昧な魂の幽体の部分を信頼せず、
本来あるべき霊体の部分を主軸にして生きるためには
どうすればいいのか・・・。

とても簡単なことなのですが、完璧ではなかったとしても、
まずは今日1日をしっかりと生き抜くことです。

仕事をしていようが、家事をしていようが、グ~タラ休んでいようが、
どんなことでも構いませんし、どんな1日だったとしても、
とりあえず、その1日を自分でしっかり「生き抜いた」と認めるのみです。

どんな1日でも「生き抜いた」ことが奇跡であり、プラスであり、
途中で自殺して逃げるよりは、遙かに素晴らしく、
とりあえず、寿命の限り、何があったとしても生き抜くこと、
その積み重ねをとにかく淡々と続けていくことこそに、
この世で生き抜いた価値が生まれてくるものです。

実は、こういうことは、
エネルギーワークを主として生きている人たちや
スピリチュアリズムに傾倒している人たちよりも、
現実社会の中で、仕事をしたり、家事育児に追われたり、家族や
その他のままならない人間関係としっかり向き合ったり・・・という、
ごく普通の日常生活の中から、その修行をしている人たちのほうが
感覚的に理解しやすいかと思います。

意外かも知れませんが、本当のスピリチュアリズムを
すんなり感覚的に理解できるのは、スピリチュアルとは無縁のような
現実社会にしっかり地に足付けて、
毎日を丁寧に生きている人たちでもあります。

実は、これが本当のスピリチュアリズムです。

滝に打たれたり、俗世から離れた仙人のような生活をするのは、
僕たちのような変わった職業の人間にとっては時には必要なこともありますが、
だからと言って、それが人間的成長に繋がることなんて、何1つありませんし、
やはり、一番、魂を磨いてくれるのは、現実社会そのものなのです。

毎日、毎日、それぞれが向き合う生活の中から、
色々な体験を重ね、それを自分なりにいかに受け止め、
1日1日を納得して、その積み重ねをしていくのか・・・。

その実践の積み重ねこそが、本当のスピリチュアリズムであり、
霊的世界が心の底から望んでいることです。

そして、たとえスピリチュアルに関心がない人だったとしても、
毎日を堅実に、着実に、自分なりに納得して生きる積み重ねを
続けている人というのは、
幽体主体ではなく、霊体、つまりは物事の本質をしっかり理解して
霊体主体で生きる喜びを、感覚的に知っている人たちでもあります。

僕が普段から親しくしている人たちは、
「スピリチュアルって何ね!?」とすっとぼけているけれど、
実は、しっかりとその真実を自らの生活の中から理解して、
現実社会の中で、それぞれの仕事だったり、
お役目を果たしている人たちばかりです。

僕がスピリチュアル業界に、ほとんど親しい知り合いがいないのは、
そういった理由からであり、
基本的に幽体主体であるこの業界は、僕は詐欺師を疑うように
そのコロコロ変わる直観や霊感とやらで、
多くの人を惑わせてしまうことが多いので
そこと迎合しようとも微塵も感じません。

夜から急に朝が訪れるように、
人はいつでも、どこでも、急激な変化を好むものです。

ですが、本当に良い人生の流れ、幸せを満喫しながら
これからの人生を歩んでいきたいのであれば、
普遍的に変わることがない霊体主体で生きるという意識を持つことが大切です。

そのためには、急激な目の前の変化、
「これをやったから、あの夢を叶えて欲しい。実現して欲しい。」という
こちら側の身勝手で曖昧な心、もとい幽体と決別する必要があります。

毎日、毎日、とにかく着実に、丁寧に、ゆっくりと生き抜いていくこと。
そして、その1日、1日を
完璧でなかったとしても必ず自分なりに納得して終わらせて、
また明日に繋げていくこと・・・。

いい加減に生きるのではなく、
丁寧に自分の力でその1日を認め、仕上げていくのです。

そして、所詮、曖昧な心、幽体が考える、
「仕事の完璧さ」とか「自分の言動に対する納得」というのは、
ただの自己満足であり、いかに狭い範囲のものなのか、
そのうち、霊体主体で生きるようになると気付くようになってきます。

「全てが結果オーライで、最善を尽くしたら、あとは自然の流れにお任せする。」

1日を生き抜いたあとは、そこには正も負も、後悔も懺悔も
善も悪も、余計な判断も何もありません。

ただただ、その日がどんな日であれ、
1日という貴重な時間を生き抜いた喜びだけが残っています。

そのささやかで静かでおおらかな喜びを、毎日積み重ねていくことの
素晴らしさを本能的に知っている人たちは、
やはり、どこにでも存在するもので、そういう人たちと一緒にいると
心の底から楽しくなり、生きていること自体が幸せに感じるものです。

幽体主体か、霊体主体か・・・。

実は、ここまでその後の人生で明暗を分けるものになるという事実を
今の内から分からないなりに意識しておけば、
あとは、あなた自身が、どちらにこだわって
生きていくのか選べばいいだけの話です。

心という曖昧な感情だけに支配されて生きていくと
自らを苦しめる結果になるだけということ、
そして、時には、自分の曖昧な「心」を疑ってみるという習慣を
身に付けていくと、人はもっともっと
ラクに心豊かに生きていけると思いますよ。


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