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個性、自分らしさを探究する前に・・・。
2013年12月08日
極寒の福岡へと仕事でやって参りました。
昨日の午前中、沖縄から福岡入りして
ホテルのチェックインまで時間があったので
福岡市の中心部から少し離れたところにある
太宰府市の太宰府天満宮に立ち寄りました。
実は、福岡出張の際、このように少し空き時間があった場合、
僕自身、どのように過ごしていいのかあまり思い浮かばず、
お店も知らないし、観光名所もそこまで知らないし・・・という
知らないづくしで、出張で立ち寄る回数が多い割には
ここでの有意義な過ごし方がイマイチ分かっていません(汗)
これからは、少しずつ福岡、はたまたその近郊の場所へも
足を運んで色々発見できるように心がけたいと思っています。
太宰府天満宮は、福岡では有名な観光名所の1つで
しかも、電車ですんなり行けることから咄嗟の思いつきで何の計画もなく立ち寄ったのですが
それはそれで、とても良かったです。
週末とあって、午前中から多くの観光客、参拝客が訪れていて
境内に入って、お社の前まで進むと、少しだけですが参拝をするための列が出来ていました。
普通に待っていれば、多分10分くらいで順番が回ってくるはずだったのですが
元来、せっかちな僕は、10分待っている位なら
その周辺の自然観察や街の散策に充てたほうがいい・・・と思い、
これまた咄嗟に、ある行動を取りました。
もし、皆さんだったら、神社参拝の際、ある程度の列が出来ていて
その列に並ぶ時間がない、はたまた、並ぶほどではない・・・と感じたら、
どのような参拝方法、次の行動に移すでしょうか。
僕はその時、その列から外れて、ご拝殿(お賽銭箱がある真ん中の位置)を避け、
列が出来ていない建物の端に行って1人、短くご挨拶をして、またささっと立ち去りました。
勿論、律儀に列に並んでいる人たちからしてみれば
「あれっ!?あの人、あんなところで参拝している。」と不思議に思われたことでしょうし、
1人違った行動を取るのは、右向け右の体質、風潮が強い
日本人の中では目立つ行動になるので多少の勇気は必要なのですが、
別に周囲の人の目線を気にするために参拝に来ている訳ではありませんから、
目的優先、自分の中での優先順位が何なのかが
ハッキリしていると、そこまで気になるものではないですよ。
基本的に僕の神社参拝は、ただでさえ短く、
ましてや後ろに人がいる場合は、そちらのほうが気になって
ゴニャゴニャ長くご拝殿前に陣取ることが出来ない性分なので
そういう時は、ご拝殿の列から外れて
右端、または左端の誰もいない場所から参拝するようにしています。
もちろん、礼儀としては、または気持ちとしては
しっかり並んで、真正面から神社のエネルギーにご挨拶したい・・・と誰もが思うものですし、
時間と余裕があって、人が少なければその通りにすると思うのですが
そこは、臨機応変に行動するようにしています。
ご拝殿の真正面に立てないことで、お賽銭を預けられないのであれば、
その分、おみくじを引く際に、お賽銭分をプラスしてお渡しする・・・など
いくらでも気持ちを示す行動は出来るものなので
敢えて真正面を陣取って参拝する必要もないと思うのです。
そこに、しっかりとした想いと気持ちさえ込められていれば、
ほんの少しの不作法くらい、神様も許して下さることでしょう(笑)
「神社参拝は、真正面からやるべきもの。」というルールなんて、
どこにもありませんから。
実際、伊勢時代、年末年始に伊勢神宮で奉職していた時、
年末年始の戦争のような大混雑でご拝殿前は、ある種パニック状態だったのですが、
行列を長くする原因の1つが、やはり真正面を陣取りたがる、
または、そのように参拝しなければいけない・・・と思い込んでいる人たちが多く
その分、待ち時間が長くなる・・・という悪循環に陥っていました。
その時は、拡声器を持って
「神様は平等に皆様をお迎えしています。
真正面だけではなく、両端のスペースも空いていますから
どうぞ、お好きなところで心を込めてご参拝下さい。」と
何十回、何百回、案内をさせてもらった記憶があります。
真正面から参拝したい・・・と思われる方は、その通りに、
そうでなくてもいいから、しっかり想いを込めて参拝したい・・・と
思われる方は、その他の方法で。
どうぞ、今年の年末年始の神社参拝の参考にされてみて下さい。
閑話休題。
ただ、この僕でも最初から、そのように行動できていた訳ではありません。
臨機応変に何かの行動に移す時、はたまた想定外の何かが起こった時の対応って
誰でも一瞬迷ったり、判断がつかなくなるものです。
そういう時に一番大切なのは、
やはり、日々の行動の積み重ね、基本となる考え方、生き方に
どれだけ意識を置いて、または想いを込めて向き合っているのかどうかで
臨機応変という一種のイレギュラーに対する
免疫力というか、対応が変わってくるものではないかな・・・と感じています。
もっとシンプルに言えば、何事も基本、基礎が大切であって
それが出来て初めて、イレギュラーなこと不測の事態や
予想外の出来事にも対応できるようになってくる・・・ということです。
僕の場合は、たまたま神社で過ごす時間が多く
その基礎を身に付けているからこそ、咄嗟の判断で
色々な行動が出来ているだけなので、
多分、神社育ちでなければ、そのようなイレギュラーな行動はとれず
フツ~に並んで待っていたと思うのです。
ここ最近、このブログでも仕事の話や、
就職試験の話題に触れる機会が多かったので
「自分らしさ、個性を大切にして生きていきたいんです。」とか
「自分らしい、自分に向いている仕事にしか興味がないんです。」という
一方的な自己主張型の人たちから、これまた一方的にメッセージが届くことが
続いていたのですが、僕は、やっぱり、何か違うと思うのです。
確かに仕事にしても、人生にしても、
自分らしい生き方、お役目を見出し、それに向かって進むことが出来れば
それはそれは幸せなことだと思います。
ですが、本当の意味でそうなるためには、
ある程度の基礎というか、基本というか、
何かと淡々と向き合い、こなすことが出来る心の筋力がない限り
何を求めたとしても、結局は中途半端なままだと感じます。
自分らしさや個性を主張し、大切にするのは素晴らしいことですが、
その個性とやらも、自分らしい生き方とやらも、
先ずは、どんな世界、業界、組織、仕事、人間関係の中からでもいいので
ある一定期間、コツコツと何かを積み上げ、
色々な経験を重ね継続しない限り、
それらを認識して見出すことなんて絶対に無理です。
理想ばかりで、実践、行動が伴っていなければ
そのギャップは、ずっと埋められないまま彷徨い続けることになります。
アナウンサーの世界でも、よく大先輩から
「10年経ってようやく、自分らしさ、自分というものが理解できてくるもの。」と
言われていましたが、
今になって、その言葉があながち大袈裟ではなかったことに気づきました。
実際10年以上、その職業に就いてみて
僕もようやく、その世界での自分の持ち味というか、自分なりのフィールドを理解して
意識して働くことが出来るようになったので
時間の長短というよりは、やはり本当の自分らしさ、個性というものを意識し
冷静にそれらを見極めるためには、
一定期間、個性もへったくれもなく、やり続けることが大切だと実感しています。
これは、あくまで仕事の面での話ですが、
仕事だけではなく、人間関係においても、その人の人生自体についても全く同じことが言えて、
最初から個性、自分らしさを発揮できる人なんて存在せず、
ある程度、そこと向き合うためにコツコツと積み上げてきた基礎があってこそ
そこから、ようやく溢れ出てくるものが、
本当の個性であり、自分らしさ、もっと言えば、
自分らしい人生の生き方に繋がっていくのではないかな・・・と思っています。
僕は、個性や自分らしさは、無理してアピールして出そうとするものではなく、
その人が抑えようとしても、無意識に自然と溢れ出てくる部分、
そこに意識を置くことが出来る余裕、人生経験が備わった時に
初めて、それらが輝き出すものだと感じています。
自分らしさ、個性を探究する前に、理想を持ちすぎる前に、
まずは、何でもいいからしっかり、じっくり、とことん向き合ってみる、
または頭を使い過ぎず、とにかく身体を動かす、汗水たらして働く。
やっぱり人は、行動によってしか学べない生き物です。
頭ではなく、身体で、魂で生きていく人生を
常に意識しながら、目の前の臨機応変を楽しんでいければ
理想的だな・・・と、思いました。
さっ、これから福岡での仕事の準備をしっかりして、
お会いする予定の皆さんと心を込めて向き合っていきたいと思います。
Posted by 山野本竜規 at 08:17
│心の在り方 (2,645)▼