山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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全身麻酔と入院、手術の感想。

2025年02月27日

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

目の手術から1週間が経ち、少しずつですが、眼球の状態も
落ち着いてきたように感じています。

充血は1~2ヶ月くらいは続く予定ですが、とりあえず明日の検診で
術後、ずっと装着していた特殊なプリズム眼鏡を卒業して、
裸眼で日常生活を送るように訓練する日々が始まります。

念のため今日のブログは裸眼で更新しているのですが、
術後、目の前が二重に見えていた現象も治まって、
目は疲れるものの、なんとか文字入力ができるくらいまで回復しています。

今回は30年ぶり、ちょうど高校3年の卒業間近の同じ時期に
最初の眼球の手術をして以来、2回目の同じ手術だったのですが、
前回が30年前だったので、もうほとんど詳細の記憶がなくて・・・。

30年前と違っていた点は、今回は全身麻酔だったということと、
前回は両目の眼球の手術だったけれど、今回はその場で担当医が判断して
右目の眼球のみの手術になったという点。

前回は点眼麻酔のあと、瞼などに注射をして局所麻酔で意識があるまま、
眼球の中にメスが入ってくる様子や、眼の筋肉を引っ張っているような感覚があって、
それだけで大変だった思い出があるのですが、
今回は全身麻酔のため、いざ麻酔の吸入が始まると、パタリと意識がなくなり、
ぼんやり目覚めたら、全ての手術が終わっていた・・・という状況で、
これなら絶対、全身麻酔のほうが良かったなと改めて感じた次第です、笑。

今回は、その全身麻酔→術後1週間までの大雑把な振り返り。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

実は全身麻酔は人生でこれが2回目で、
前回は、6年前、まだコロナが世の中に出回る少し前に
長期出張先の東南アジアの国で既にそれが流行っていて、
僕も初期の激しいコロナの症状で肺炎が重症化して緊急入院した際、
手術が必要になり、初めての全身麻酔を経験しました。

事前の説明も全て英語、身内はいないため同意書も本人のみ、
病院スタッフも全員、現地の人、コミュニケーションは英語という孤立無援状態で、
緊急入院と緊急手術、しかも全身麻酔を必要とするものになったので、
この時ばかりは、旅慣れている僕も、さすがに不安になりました。

結果、手術も上手くいき、全身麻酔から目覚めたまでは良かったのですが・・・。

全身麻酔の時って、呼吸をしていないため、意識がなくなったあと、
必ず酸素などのチューブを喉の奥に詰め込む作業をして、
全ての手術が終わり、意識が回復する時に酸素チューブを抜くという工程のようです。

ただ、僕の場合は、当時、肺炎重症化、高熱、鼻や喉も腫れて
激しい咳が止まらない状態が続いていたので、
この酸素チューブを抜いた後の喉のイガイガや違和感が凄まじく、
半日以上、余計な喉のイガイガでゲホゲホ、いつも以上の激しい咳が出て
苦しかった記憶があります。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

あと初めての全身麻酔、海外の病院で入院、
しかも東南アジアの病院だったので、麻酔が強かったのか、
1日くらい吐き気が止まらず(全身麻酔の副作用の1つ)
激しい咳に喉のイガイガ、吐き気のオンパレードで、
「全身麻酔って、こんなに後が大変だったのか。」と痛感したのが最初の経験でした。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

全身麻酔と入院、手術の感想。 全身麻酔と入院、手術の感想。

今でも海外の病院で1人、不安なまま、そして激しい体調不良のまま
病室で今にも息が途絶えてしまいそうな苦しい状況で過ごした時の嫌な感覚、
病室の匂い、空気などは鮮明に覚えています。

それから数ヶ月後に世界的に「コロナというウィルスが各地に広がっている。」という
ニュースが人口に膾炙することになりましたが、
当時は「原因不明の謎のインフルエンザに似た肺炎重症化」としか診断されず、
本当に何もかもが大変だった思い出しか残っていません。

あれから6年。

今度は体調不良という訳ではなく、眼球の再手術のための全身麻酔ですが、
入院して手術前日に、担当の麻酔科医の方が病室を訪れて
最終の確認や同意などを行う時間が設けられました。

風邪もひいていないし、熱もない、体調不良なども一切なく
すこぶる健康な状態での翌日の全身麻酔、手術なので、その点は安心だったのですが、
前回の辛い記憶があったので、麻酔科医の方に尋ねてみることにしたのです。

「前回、コロナの激しい症状で海外で入院して全身麻酔を受けたのですが、
術後、喉のイガイガと違和感、激しい咳と吐き気が止まらず大変な想いをしました。
今回、また同じような経験をするのでしょうか?」と。

すると麻酔科医の方は「いえいえ、それはコロナの重症化で肺炎を引き起こした状態での
全身麻酔だったので、相当辛かったと思うのですが、レアケースです。
普通の身体の状態であれば、喉の違和感も最小限ですし、吐き気も個人差がありますが、
外国のように強すぎる麻酔をかけるということはありません。
それでも手術中、目が覚めることはありませんし、安心して下さい。」という
何とも頼もしい返答をして下さいました。

僕が経験した、あの強烈な喉の違和感と痛み、激しい咳は
肺炎重症化の影響で全身麻酔を受けたからだったんですね。

逆に言えば、そんなリスクを負ってでも、全身麻酔をして手術をしなければいけなかった
当時の状況を思い返すと、本当によく生きて日本に帰ってこられたものだなぁ・・・と、汗。

それはさておき、前日に麻酔科医の方から全身麻酔の説明を受けた後、
1つ協力して欲しいことがあるというお願いが。

手術は終始、安全に実施するけれど、現場の訓練を積むために
救急救命士の資格を持った人たちが、酸素チューブの挿入などを行う制度があり、
もし協力してもらえるのであれば、お願いできないか・・・と。

無理強いするものではなく、嫌なら医師や看護師がやるけれど、
将来の救命救急士の成長のためには必要な訓練なのだそうで、
僕はもちろん、二つ返事で快諾して、同意書にサインして、
麻酔科医との会話が終了。

それから10分ほどして、今度は当日、現場で酸素チューブの挿入などを担当する
若手の救命救急士(今回は離島の海上保安庁所属の方でした)の方が
改めて挨拶に来られ、その同意書のサインと確認をして終了。

こういう制度があるんですね。
それだったら、可能な限り、協力して差し上げたいと思います。
6年前の時とは違って、身体はいたって健康だったので。


そして翌日、朝8時にいよいよ手術が始まるのですが、
僕は手術室まで看護師さんと歩いて出向き、名前などの確認をしたあと、
手術台のベッドに仰向けになり、先ずは手の甲に点滴の針を入れて、
そこから鎮静剤のようなものを入れて、2~3分ほど待ちます。

その間に昨日の麻酔科医、救命救急士、眼球の手術を担当する執刀医、
看護師の方などがベッドの周りに集まって、
鼻と口を覆うマスクを当てられると(これが麻酔)、1~2秒もしないうちに夢の中。

その間の記憶は一切ありません。

次に目覚めたのは、既に手術が終了して麻酔が覚めた時。
でも、ここから数時間はまだ麻酔が効いているので記憶があいまいで
終始、ぼ~っとした状態。

目が覚めた時は手術室のようで、看護師の方が
「今は午前10時過ぎです。無事に手術終わりました。」と声かけをしてくれたのは
なんとなく覚えているのですが、とにかく記憶が曖昧、汗。


記憶が曖昧なのですが、目が覚めて看護師の方に最初に呟いたのが、
「私、暴れませんでしたか?」というアホみたいな質問、笑。

多分、事前に色々調べていて、全身麻酔の後、稀に「せん妄」という症状が
出る人がいて、そこに性格が急変したり、暴れたりする症状もある・・・という情報を
頭のどこかで覚えていたためだと思うのですが、
目覚めて最初の一言がそれって、周りの関係者も「???」だったと思います。

結果的にこの後、5~6時間は、頭がボ~っとしていて、
寝たり起きたりを繰り返し、そのうち、目の奥がズンズン重いというか、
多分、術後の痛みだと思うのですが、鼓動と共にズンズン重くなる感じで
「想像していた術後の痛みよりはマシだな。」と感じながら、一晩を過ごしました。

あと心配していた喉の違和感も吐き気も、今回はほぼ経験せずに済みました。
健康体であったというのと、
救急救命士の方の酸素チューブ挿管が上手だったのでしょうけれど、
麻酔から目覚めた直後、少しだけ咳き込んだだけで、
喉の痛みもなければ、違和感もほぼなくて、
「日本で全身麻酔受けられて良かったな。」とホッと一安心。

海外の時の緊急入院の不安さと比べたら、日本語も通じるし、
知り合いも同じ県内にいるし、全ての点で安心して入院することが出来たため
このような心理的なストレスがなかったというのも良かったです。

翌日には術後の大きな痛みは引いて、眼球を動かすと目の筋肉が痛むという程度。

ただし充血と血の涙は凄くて、1週間経った今でも目は真っ赤なままです。
血の涙は3~4日すると落ち着いて、
朝起きると目やにが血の色になっているというホラーが続きましたが、
それも1週間経って、少しずつ落ち着いてきました。

とりあえず眼球の状態も少しずつですが回復してきているのを実感しており、
まだまだ無理はできないのですが、
これでようやく日常生活に慣れていく準備が整ったのかな・・・というのが
術後、1週間経った現在の正直な感想です。

あと日本とは言え、担当医や関係者から
「手術が終わりました。という家族への連絡は必要ですか?」とか
「同意書にサインしてくれる家族はいらっしゃいますか?」、
「退院後は、ご家族のどなたがお迎えに来ますか?」等と幾度となく
尋ねられる場面があったのですが、
僕は1人暮らしで、家族は遠くで暮らしているので、この点、もう少し、
融通を利かしてもらえるとスムースなのにな・・・と感じたのも事実です。

この核家族化である現代、全て家族の同意が必要、またはそれを
尋ねられるって、そうではない人の場合、どうするのだろう・・・と。

結果的に「家族は県外で暮らしているので入院から退院、
その後の帰宅はタクシーで、全て私1人で手続きします。」と
その都度、答えて事なきを得たのですが、これも難しい課題ですね。

昔、激しいめまいで救急車を呼んだことがあったのですが、
その時も同じ質問をされたことがあります。

「他に同乗できるご家族の方はいらっしゃいますか?」と。

何かと自立して生活するというのは、良い側面と、
社会的なシステム上、不便を感じる側面と両方あって、
もう少し様々なライフスタイルを確立している人たちがいるという現実を
ソフト面、ハード面で整備してくれたらいいのになぁ・・・とも感じた入院でした。

まだ眼球のリハビリが必要なため、
本調子で仕事が再開できる訳ではないのですが、
少しずつブログ更新ができる時に更新しつつ、
事務作業も再開していきたいと思っていますので、
仕事の問い合わせをしておられる皆様、もう少し返信までお待ち下さいませ。





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