山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 政治、宗教、陰謀論の情弱馬鹿の特徴。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

政治、宗教、陰謀論の情弱馬鹿の特徴。

2024年10月24日

政治、宗教、陰謀論の情弱馬鹿の特徴。

昨日、外での仕事帰りに、期日前の不在者投票に行ってきました。
日曜日は他の仕事が入っていて、そちらに集中したいので。

自治体にもよると思うのですが、僕の自宅には、なかなか葉書が届かなくて
結局、運転免許証など身分を証明できるものと共に手ぶらで会場に行き、
スタッフの方に申請してから投票という流れになりました。

ツイッターでも呟いたのですが、今の国に対する自分なりの意思表示のためにも
可能な限り投票には行ったほうがいいよね・・・と個人的に感じております。
一般国民が政治や国に対して何かしらの介入が出来る機会は、
今はその方法しかありませんから。


でも、こういうことって、基本的に1人で決断して1人で行うものだと思います。

決して、第三者に向かって特定の候補者に投票するよう呼び掛けたり、強制したりするものではなく、
本来は自由意志で、自らの想いを託すものだからこそ意義があるはずなのですが、
どうも、街頭の活動にしても、違法ポスターにしても、某宗教団体が絡んだ囲い込みのような
作戦にしても、どれも本来の個人主義、自由主義とはかけ離れた惨状で、
この点は素直にガッカリというか、「絶対、関わりたくない輩だな。」と感じるのも事実。

この時期のSNSなどを流し見していても、とにかく、まぁ、カオス状態、汗。

別に個人のアカウントで個人的な主義主張を訴える分には全然構わないのですが、
相反する思想の他人のアカウントに直接絡んでまで、大声で何かを喚き散らすのは
場違いというか、「そんなの他人の場所でやることじゃないだろうに。」と。

SNSにしても、ブログにしても、はたまた公の場にしても、
基本的にタブーとされているというか、あまりにも激論に発展しやすいので、
日本で昔から、なるべくだったら避けるほうが無難と言われているのが、
政治と宗教(この場合、新興宗教がメイン)、お金の話題でもあります。

これに今は、様々な陰謀論ビジネスやワクチンの是非、
過激な自然派ビジネスなどが加わるので、
どこもかしこも「これを信じて!これが真実です!でなければ大変なことになります!」の
身勝手な親切の押し売りばかりが自然と目立ってしまう世の中になってしまいました。

一番厄介なのは、その親切の押し売りをしている人たちに必要以上の悪意はなく、
何なら純粋に1つの真実だと信じるものを広めなければ、
世の中は大変なことになる、周りの大切な人たちに害が及ぶ・・・と、
本人なりの正義を一生懸命振りかざして、周囲の人たちを巻き込もうとしている点です。

本人たちは正しいことをして、大切な人たちを救う活動をしている「つもり」でいるのですから、
こういう人たちに人としての良識が何たるかを伝え届けたところで、
都合の良い解釈しかしないものですし、都合の良い言葉しか受け入れないことでしょう。

あくまで個人は個人であり、他人は他人。
それが家族であったとしても、親しい友人であったとしても、第三者であったとしても。

*「他人の人生は他人のもの。~部外者は、すっこんでろ!~」2024年10月14日

いくら自分の正義や真実とやらが全て正しいと信じ切っていたとしても、
それを第三者に強要して、正しい思想や正義と思い込んでいる考え方に染めようとするのは、
もうその時点で洗脳であり、他人の領域に土足で上がりこんでしまう侵犯そのもので、
決して、それはやってはいけないことだという良識すら通用しなくなった状態を作り出すのが、
「これだけが真実です!これだけが正しいです!これを信じないと大変なことになります!」の
偏った頭の構想の全ての元凶になっているのではないでしょうか。

それが政治や新興宗教にしても、陰謀論やワクチン云々にしても、
自分1人で考えて、自分1人の範囲内でそれらを完結できない人たちというのは、
やはり、他人の境界線を守ることが出来ない、図々しい人たちと言えると思います。

新興宗教でもよくありがちですが、
「この神様を信じないと、あなたは大変なことになる。」「でも、これを信仰したら救われる。」
「だから、これを信じましょう。」が全てセットになっているのが
鉄板、デフォ、お決まりの3原則です。

いち個人が特定候補者への投票を周りの人に強要してお願いして回る行為にしても、
ワクチンの是非を問いながら、周りの人たちにどちらかを強要する過激な行為にしても、
はたまた様々な陰謀論ビジネスの強要にしても、
飴と鞭をセットにした思想がほとんどで、「こちらを取れば救われますよ。」を
あまりにも他人や他のものに依存した結果の馬鹿(情弱という意味)の成れの果てだということ。

馬鹿な情報弱者というのは、自分の頭で考えているようでいて、
実は他人の思想、心の不安や迷いを一時的に埋めてくれるものなどに過度に依存して、
洗脳されているのに、それが洗脳だと気づかず生きている人のことを指します。

要するに自分で考え、自分で決めて、自分で動いているようでいて、
自分で考える努力も研鑽もせずに、強力でインパクトのある何かに依存し、洗脳された状態で
周りに悪害をまき散らしていることにすら気づかず、
恥ずかしい生き方を晒している人とも言えるのではないでしょうか。

で、情弱な馬鹿ほどタチが悪くて、要領が悪くて、周りを不愉快にさせる人種は存在しないくらい
実はとても迷惑な人たちな上、ゼロか百しか答えを持っていないので、
単純で周りの良識ある人たちからのアプローチを避けたがる習性があり、
とにかく救いようがありません。

よくネットでこの手の人たちとは議論にもならないことを揶揄する画像がこれ。

政治、宗教、陰謀論の情弱馬鹿の特徴。
(言い得て妙というか、そのまんま、笑)

そして馬鹿な情弱ほど、「エビデンスがあります。」「自ら情報を取りに行くことが大切。」
「これは信頼できる人、情報を自分で調べて広めています。」と、
言わなくてもいいことを大声で喚きたてて、身勝手な自己主張と周囲への強要を繰り返す。

たとえば医学的根拠に基づく知識、論文に関しては、
医師免許を持って日々、様々な業務に携わりながら論文なども執筆しておられるような方々が
それぞれの専門分野に長年研究を費やして、ようやく表に出るものでもあります。

それを何の知識もない専門家でもない、専門用語すら理解できないような頭の悪い情弱が、
一部の切り取った情報エフェクトだけを頼りにして、「エビデンスがある」「自分で調べた」など
よくもまぁ、そんな偉そうで恐れ多いことが言えたものだなぁ・・・と呆れ返ってしまうほどですが、
まぁ、相手は情弱な馬鹿なので、この点は何を伝えたとしても仕方ないのかなぁと。

僕は専門分野外のことは、勿論、門外漢だという大前提と、
それは決して無関心であれということではなく、相手は専門家であり、
僕自身、膨大な論文を全て理解できるほどの知識、情報はもっていないからこそ、
餅は餅屋で、その分野に土足で立ち入ろうとしないだけのこと。

ましてやそれを素人なのに分かったつもりでいるような言動が、
いかに愚かで恥ずかしいことなのか自分なりに理解しているつもりなので、
そういうことは一切、やりませんし、やりたくもありません。
自分が情弱で馬鹿だということを、自らギャーギャー騒いで主張しているようなものですから。

この類の人たちって、きっと内心、誰かの言いなりにはならない、
国や権力者に支配なんてされない、時には反対までしちゃう自由で自立した俺、アタシに
酔っている側面も往々にしてあるのではないかなと感じています。

幼稚な中学生が大人に反発するのが格好いいと勘違いした言動みたいなもので、
まさに「中二病かよ!」って突っ込みたくなるほど程度の低い生き方そのものです。

それが政治にしても、新興宗教にしても、お金儲けのネットワークビジネスや
ワクチン、陰謀論などにしても全て同じことで、
このような言動を人として恥ずかしいと思えない、感じない時点で、
まぁ、お察しと言いますか、決して一生涯、理解し合えない界隈の輩なのだろうなと
遠巻きに観察しているくらいでちょうど良いかなと思っています。

主義主張を自身のフィールドで行う分には、自身の責任のもと、
いかようにでもやって構わないと思うのですが、
それを他人の領域まで侵犯して、他人に強要するのは、
どんなことがあったとしても、やってはいけない人として大切な部分でもあります。

不安定な世の中だからこそ、声だけが大きいもの、影響力のあるもの、
インパクトのある馬鹿でも分かるような思想や人物像がもてはやされるのは
この世の常でもありますが、自ら情弱馬鹿な人生に陥らないためにも、
自分と他人の境界線はしっかり守り続けること、
そして本当の意味で自分で考え、自分で決め、自分で前に進むという姿勢が
どのような境地なのかを自問自答しつつ、生きていければいいなと感じています。

少なくとも生き方が恥ずかしくて図々しい、情弱馬鹿に落ちぶれることだけは
避けたいと思いますし、そうならないように気を付けたいと思っています。



同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 12:33 │心の在り方 (2,645)▼