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思い通り、上手くいく人生にしようというのが間違っています。
2023年09月24日

先日、安くてボリュームがあり、おまけに美味しいステーキのお店で
その写真を撮影しようとしていたのですが、
最初に提供されたスープとサラダを撮影した後、
焼きたてステーキの美味しそうな匂いに釣られてしまい、
写真を忘れて完食してしまいました。
肝心のメインであるステーキの写真が撮影できず、
最初のスープとサラダの質素な映えない写真のみ、笑。
加齢による物忘れ・・・ということにしておこうと思いますが、
アラフィフが見えてきた40代後半になってから、このような頻度が
確実に増えてきたような気がします。
本当は安くて美味しい、メインのステーキの写真を撮るつもりが食べる頃には完全に忘れてサラダとスープの写真のみになってしまった
— 山野本たつのり@ナカトリモチ (@nakatori_mochi) September 23, 2023歳なのか、もともとなのか、どちらにしても虚しいね
pic.twitter.com/plu7GLRUqW
かと言って、このような失敗や忘れっぽさ、加齢という現実を突きつけられても
個人的にそこまで悲観していないというか、「まぁ、これが普通だろうな。」と思う程度です。
人は年齢を重ねると、若い頃のように体も頭もキビキビ動かなくなるし、
思うようにいかないことも年の数だけ増えていくものなので
それが普通であり、当たり前。
ここを必要以上に無意識のうちに期待して、
「いやっ、そうは言っても、まだまだ若い人には負けない。」
「やれるところまで無理してでもやってみる。」となってしまうと、
もし思い通りにいかなかったら、必ずそこで絶望するか、落ち込むか、
上手くいかない現実に「自分はダメだな。」と本来なら感じなくてもいいはずの
余計な負の感情まで背負い込んでしまう・・・ということって
生真面目な日本人にはありがちなのではないかなと常々感じています。
「必要以上に期待しない。」という日々の姿勢って、
怠けるという意味ではなく、潔く割り切って前を向いていくために必要な
心の作業でもあると思うのです。
特に40代以降のそれなりに人生経験を重ねてきたであろう年齢層の人たちにとって
人生が思い通りにいかないということは理屈ではなく色々な経験で理解できるものですし、
それがむしろデフォ、当たり前のことで、そこを基準にしていたら、
逆に色々な考え方の縛りから解放されて、より生きやすくなるものでもあります。
若い頃は別にして、ある程度の年齢と経験を積み重ねてきたのであれば、
人生や日々の生活は上手く思い通りにいかないことが基本であり、
そこに必要以上に「今よりもっとよくなるはず。」「今よりもっと幸せになれるはず。」と
根拠のない宝くじのような希望を持つことで、
余計に自身の今の生活がダメなものと捉えてしまう悪循環に気づくか、
気づかないのかで、その人の幸福度、心の豊かさって各段に変わってくるものです。
希望を持ちましょう、ポジティブでいましょう、明るい気持ちでいましょう・・・という
絵空事、いやいやっ、もとい、願望を持つことは絶対に大切だと思います。
でも、それがいつしか「~するべき」「こうあるべき。」に変わってしまって、
「良いことが起こらなければ不幸」「私は常に不遇の中で生きている存在」と
自分勝手に思い込んでしまうことこそ、一番不幸な状態であり、
そうならないためには、良い意味で生きるハードルを下げて、
「とりあえず普通に生きていければ合格点」を基準にしていれば、
良いことが起ころうが、歓迎できない出来事が起ころうが、
「まぁ、人生なんてどちらも普通に起こるよね。」と、心を必要以上に乱されず
受け入れられるものではないでしょうか。
「私は絶対に幸せになってやる。」
「私はこんな生活じゃ終わらない。もっと違う人生が待っている。」と
出走前の競走馬のように鼻息荒く宣言したり、心の中で馬が興奮した時のように
足を前掻きするような姿勢でいるのは、せいぜい2~30代までの若い頃まで。
そして、それはその本人の自由でもありますが、
そこに「人生を無駄に期待しすぎている」という客観性が欠けてしまえば、
どんどん痛々しい現実味に欠けたオジサン、オバサンになってしまう危険性を
大いに孕んでいるということは頭の片隅に置いておきたい事実でもあります。
全ての人生を諦め、悲観的に生きましょう・・・とお伝えしているのではありません。
そうではなく、過度に根拠のない期待を持ち続けて生きることほど
自分で自分の首を絞めるように苦しくなる生き方はないですよ・・・とお伝えしたいのです。
なる時は、なるし、ならない時は、ならない。
上手くいく時は上手くいくし、上手くいかない時は、上手くいかない。
そしてこの世というものは、往々にして基本が上手くいかない、
思い通りにならないものだという大前提がないと、
今ある目の前のささやかな幸せであったり、小さな喜び、楽しみすら
全力で味わうチャンスを逃しているって、これほど勿体ないことはないと思うのです。
人生は基本的に思い通りにならないし、上手くいかないもの。
時々、ほんの少しだけ、上手くいったり、良い流れになることはあるけれど、
基本はもどかしい晴れ晴れしない世の中の流れの中で
自分なりの良い生き方を構築していくのが、
全ての人に与えられた課題の1つだと思っています。
あなたがもし、今の生活に大きな不満を抱えていて、
「人生が思い通りにいかない。上手くいかない。」と嘆き悲しんだり、
思い悩んだりしている状況だったとしたら、
少しでも、その凝り固まった考え方から離れてみることをお勧めします。
基本、人生なんて上手くいくものではないし、思い通りにいかないのがデフォであり、
当たり前のことなのですから、そんな当たり前のことで
必要以上に思い悩んで、自分自身を不幸だと思い込むことって
やっぱり時間と労力の無駄なんですよね。
そのような意味において、僕の人生のハードルは滅茶苦茶低いです。
とりあえず他人様に必要以上の迷惑をかけず、
それなりに自分なりの生活を維持していければ、それだけで合格点。
そもそも僕自身の人生においても、
思い通りに物事が進み続けることなんてほぼありませんし、
自身の希望通りの生き方、仕事を100%やらせてもらえた思い出は一度もありません。
ある意味、不可抗力で自分の努力だけではどうすることも出来ない
大きな人生の流れに委ねながら、それを自分の意志は別として渋々受け入れながら
今の僕の生活、仕事、人生が成り立っています。
思い通りの人生かどうか聞かれることがあれば、
即答で「思い通りではないです。むしろ上手くいかないことだらけです。」と
お答えするでしょう。
でも、それで全てを諦めている訳でも、悲観している訳でもなく、
それが全ての人に平等に与えられた、この世の課題の1つだからこそ、
「上手くいかない、思い通りにいかないのが人生」という基準が
客観的に受け入れられていると思うのです。
それくらいハードルが低いので、少しでも嬉しいことがあれば嬉しいですし、
嫌なことや腹立つことが多いけれど、それは親しい人たちと愚痴を言い合いながら
「〇〇、最悪だよね。」と共感し合えば、随分緩和されますし、
(腹は立ちますけれど、笑)
基本が上手くいかないものだから、稀に上手く物事が進むことがあれば、
それだけでラッキーだなという程度です。
ここまで基準を下げていれば、必要以上に鼻息荒くして高度な幸せとか
高度な順調な人生、絵空事を求めて苦しむという
負のループにははまらないと思うのです。
生きる基準を下げること、そもそも人生自体、思い通りにならないし、
上手くいかないというのが基本だという現実をしっかり受け入れてこそ、
そこから、本当の意味でその人なりの心豊かな生活が始まっていくのではないでしょうか。
ふと、なかなか思い通りにいかないことだらけの生活から
そのようなことをつらつら感じた日曜日の夜でした。
Posted by 山野本竜規 at 21:47
│心の在り方 (2,645)▼