山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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声がデカく主張が激しい人か、そうではない人か。

2023年07月06日

声がデカく主張が激しい人か、そうではない人か。 声がデカく主張が激しい人か、そうではない人か。

これは一昨日の真夜中、目が覚めて撮影した
部屋の中に柔らかく差し込んできた夏の夜の月灯り。

満月から数日経った後なので、部屋の中は真っ暗でも
まるで外で優しい電灯の光が照らされているかのような明るさでした。

個人的には明るい太陽も好きなのですが、
それ以上に、自己主張し過ぎない、そっと静かに見守ってくれるような
穏やかな月や月光が心にマッチするので、しばし見とれていました。

この世の中も同じく、どうしても悪い意味で自己主張が激しい、
声が大きく、目立とうとする人たちの主張や声、存在が受け入れられやすい流れで
そこに疲弊している側面もあるのかも知れません、笑。


これは今も昔も同じことなのかも知れませんが、
世の中というものは、どうしても声が大きな(自己主張が激しい)人たちのほうが
自然と目立って、市井の人たちの興味関心を惹くものです。

今で言えば、ルールもへったくれもないやりたい放題の一部のユーチューバー然り、
過剰なまでに自身の過激な思想、信条を貫いて、
周りの人たちの迷惑を顧みずにやりたい放題ばかりするレリゴーブスな連中然り、
はたまた過去の悪行を武勇伝のように語り、今は更生して立派になっている・・・等を
恥ずかしげもなく語る馬鹿にしても然り。

そういう人たちがどうしてもおのずと目立ってしまうものですが、
それは全体的な総数で見れば、ほんのごく少数だと思うのです。
少数だけれども、悪い意味で声がでかいし、自己主張が激しいので
おのずとその存在が認知されやすいという。

そして、そんな連中よりも、格段に素晴らしいと常々思うのは、
無駄な声もあげず、無駄な自己主張もせず、淡々と真面目に、
自身や周りの生活のために働いたり、生きている声の小さい人たちです。

そして逆に、本当に自身にとっての味方であったり、理解者であったりする人、
はたまた大きな声ではないけれど、地道に良い人生を積み重ねておられる人たちというのは
その存在が分かりにくいだけで、意外なほど周りには多く存在していることも
これまた事実です。

声は出さないけれど、表立って「あなたの味方ですよ。」とは言わないけれど、
確実にその人の理解者である・・・ということは、よくあるものです。

実はここ最近、長年勤められた組織を離れるという方のお話を伺う機会がありました。

本人の中で仕事も長年やり抜いて、今度は家族との時間や自分の生活を
充実させたいという強い希望があっての決断で、
とても清々しい表情をされていたのが印象的です。

ですが、お話を聞いていると、どうも職場の人間関係の中で
本人が「この人たちとは一番仲が良く、退社後もプライベートで付き合っていける
大切な仲間。」と喜々としてお話されていることに違和感を覚えました。

よくよく話を聞いてみると、僕からすると、単にその人たちに上手いように
都合よく利用されているだけの間柄であることが明確だったので、
誤解を恐れず、正直にそのことをお伝えしました。

とてもお人好し、悪く言えば、人を疑うことを知らない無菌室状態の心の人で、
このようなタイプの人を悪用する人たちは、絶対出てくるからこそ、
「もういい加減、その人たちの本音と建て前、ただ利用されているだけという事実から
目をそらさず、フェイドアウトしていきましょう。」とお伝えしたのですが、
ご本人、本当に何も気づいておられず鳩が豆鉄砲を食ったような表情をされていました。

とても衝撃的だったのか、「じゃ、仲間と思っていた職場の人は皆、そうではなくて、
もう誰も仲良しになれる人はいないのですね。」と仰っていましたが、
実はこれが前述した「声が大きな悪目立ちする人以外の人たちを見て欲しい。」という
想いでもあります。

別に会社は仕事をしに行く場所なので、無理して仲良しになろうとせず、
本当に気心知れた友達や仲間なんて、プライベートの外の世界で
いかようにでも作ることが可能です。

ですが、長年、その組織がメインで仕事中心の生活を送ってこられた方にしてみると、
当たり前のことですが、その組織やコミュニティ内での人間関係、付き合いが
8~9割になってしまいがちです。

そしてその8~9割の中で、
悪い意味で声が大きく、自己主張が激しい人たちなんてほんの1割~2割程度で、
そのような人たちの傍にいたとしても、一時的に組織内で得をすることがあっても
人間関係という意味においては、どこかいびつで必ず歪みが生まれてくるものです。

むしろ、その組織内の声が大きい、自己主張が激しい悪玉連中なんかより、
その他大勢、普段は声も上げないし、無関心でいるように思える人たちの中にこそ、
本当の意味での理解者や応援してくれる人たちがいるもので、
そこを気づけなかったのは、本人の人間関係における課題の1つだと受け止めました。

一番悪いのは、お人好しな人を無意識でも、意識的にでも悪用する
根っからの根性悪な自己主張が激しい連中ですが、
悲しきかな、こういう人たちは小賢しい処世術に長けているため
全ての人とは言いませんが、そのいびつな組織内での
出世はしやすい傾向にあるのが、今も昔もこの世の常。

まぁ、日本にしてもその他の国にしても、
1つの組織で出世している人格者ってほとんど見かけないのは、
誰もがご存知の通りです、笑。

僕は今も昔も、そういう無駄に声が大きな人、自己主張が激しい人、
狡猾な生き方、処世術を良しとする人たちが個人的に嫌いなので、
その分、声なき声に感応する気持ちが強いような気がします。

大きな声はあげないし、自分から激しい自己主張はしないけれど、
それでも真っ当に、直向きに、自身や周りの人たちのためを思って行動している
その他大勢の人たちの存在を感じるだけで、励まされることが多いものです。

そして目立たないけれど、声は小さいけれど、
確実に自身や周りと共に真っ当で直向きに日々の生活を積み重ねている人たち、
温かい眼差しで、頑張る人を陰ながら応援している人たちが数多く存在していて、
気付かないまでも、そのことに想いを馳せられるかどうかで、
個人個人の生き方、充実度も変わってくるものではないのかなと感じています。

元の職場で長年、真の仲間だと思って付き合っていた人たちが、
実は向こうからしたら「都合の良い人」「利用しやすい人」だっただけという事実を
突きつけられた時、勿論ショックは大きいと思うのですが、
その方は更に前を向いて「では、その関係はゆっくり時間をかけて自分の中で消化し、
新しい生活の中で自分にとって本当に良いと思える人たちと付き合っていきます。」と
仰っておられたので、これからが本当に楽しみですね。

これって本当にもどかしいのですが、真の応援者って
自ら手を挙げて「あなたの味方ですよ。」と存在を主張することはほとんどなく、
どこにいるのか、誰なのかすら分からないことも多いものです。

勿論、ケースバイケースで「私はあなたの味方です。」と正々堂々と
面と向かって伝えてくれる人も、正直な人だと思うのですが、
それもごく稀であり、おおよそは何かしらの打算や悪用を考えているなどで
近寄ってくることもあるものなので、その見極めは本当に難しいところ。

ですが、基本は声なき声、小さな声の持ち主の中にこそ、
心からあなたを応援してくれる人たちがいる確率が高いということを忘れなければ
声だけ大きい、都合の良いことばかりを言う人に騙されずに
賢明な人選、健全な人付き合いが出来るのではないかなと思っています。

上っ面で良いことばかり並べたてるような連中、基本的に、
僕は「詐欺師か?」と思って、必ず警戒するようにしています、笑。
そんな綺麗な上澄みだけの人間って、この世にはほとんど存在しませんから。

大きな声と、小さな声。
主張が激しいものと、そうではないもの。

時と場合に応じて、自身でどちらに心が傾きやすいのか、
色々な事象の確認作業をしてみるのも、いいかも知れませんね。

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Posted by 山野本竜規 at 18:01 │心の在り方 (2,645)▼