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沖縄のユタ問題。~土地や家に悪霊が憑いているなら説明してみやがれ~
2020年10月14日


先日、沖縄本島南部エリアで依頼があった土地家屋の鑑定、お祓いの仕事帰り、
あまりにも天気が良かったので、海沿いまでドライブをしてきました。
お気に入りの無糖のレモネードが喉の渇きを潤してくれて、
綺麗な景色込みで、まさに仕事の後の一服の清涼剤のように感じて
良いリフレッシュになりました。
沖縄で生活し、沖縄でナカトリモチとして仕事をしている機会が多いと
必ず遭遇するいい加減で中途半端なユタの放言に騙されて、
それでずっと心配や不安を抱えてしまう人が多い現状に直面するのですが、
その度に、詐欺師のようなユタに対して怒りを覚えずにはいられないのです。
沖縄県以外にお住まいの本土の方には
あまりピンと来ないというか、日常生活のあれこれに困った時に
「そうだ、ユタに相談に行こう!」と、すぐにそのような思考回路にはならないのですが、
沖縄では「医者半分、ユタ半分」という言葉があるように、
ユタと呼ばれる霊的感覚が鋭い(ほぼ自称か統合失調症)人たちのところに
何かしらの判断を委ねるための「ユタ買い」が
日常生活の中にある程度、普及している見えない文化が根付いております。
勿論、100人のユタがいたら、1~2名くらいの割合で、
本当に人間的にも素晴らしいプロもいらっしゃるのかも知れませんが
(僕は未だにお目にかかったことありません)
そのほとんどは、サーダカーと呼ばれる霊感が少しある、
感受性が豊かで思い込みが激しい、激情タイプの情緒不安定な人たちが
思い込みで「視える、聞こえる、感じる」を無責任に口にしているだけという現状があります。
まぁ、それでも良しとされるユタ文化許容の下地が沖縄にはありますから。
本来であれば、こういう人たちは修行をするのではなく、
心療内科や精神科などに入院して、適切な医師の診断を受けて、
入院なり治療なりをしなければいけないはずなのに、
この手の情緒不安定な人たちが沖縄にいたら、
「それはサーダカーだからユタに相談して修行してユタになるお告げかもよ。」と
周りの人たちが悪い意味で寛容になり過ぎて、
精神疾患を抱えた人たちが、そのまま意味不明なことを放言することも許されてしまうのは
本当に危険なことだと常々感じています。
信心深さ、見えない神仏、その他の大自然に対する畏敬の念などと違って、
とても共依存を生みやすいいびつな関係性なので、
個人的にはユタと名乗る人とは、100%お友達にはなれずに、
沖縄県民の僕ですら、そのような知り合いは1人もおりません。
さて、ここからが本題です。
詳細は割愛しますが、先日、土地家屋の鑑定、お祓いでお邪魔したご家庭も、
とても閑静な住宅街の一角にあり、依頼主の方も、とても穏やかで優しい
お人柄が伝わってくる方でした。
一番心配しておられたのは、サーダカーの友人がその方のご自宅に遊びに来て、
「この家で気分が悪くなった。」と直接本人に伝え、
それだけならまだしも、余計なお節介(友人にとっては親切心)で、
その友人が知っているユタを引き連れて、外から勝手に拝みをしたらしいのです。
優しい依頼主の方にとってみれば、
「友人が私や家族のためを想って、心配してくれてやったことだから、
そこに対しては何とも思わないけれど、友人が連れてきたユタの方が、
「この家は何か取り憑いているから、お祓いしておいてあげた。場所が悪い。」と
一方的に伝えて、それで終わったそうです。
普通、霊的世界のことなどに興味関心がない人であったとしても、
はたまた幽霊の類を全く信じない人であったとしても、
見ず知らずのユタという職業の人から、「あんたが住んでいる土地、家は悪い。」と
関西の不良よろしく、一方的にメンチを切られて言いがかりをつけられたら、
気分が悪いだけでなく、怒りや戸惑い、
人によっては不安だけが残ってしまい、「えっ!?自分の家はそんなに悪いの!?」と
心配になってしまうのが人情というものです。
そして沖縄でナカトリモチの仕事をさせてもらうようになって10数年、
この手の話が本当に多すぎて、多すぎて、
その都度、「頭がおかしなユタの無責任な放言に騙されないで下さい。」と
ブログや講演会などを通してお伝えし続けているのですが、
もうねっ、本当に職業云々全く関係なく、1人の人間として最低最悪だと感じますよ。
もし本当にその土地なり家なりに「悪い何か」が取り憑いているのなら、
先ず、その明確な理由が説明できなければいけません。
どういう見えない世界の住人がその土地に憑いているのか、
それは一過性の取りすがり的な存在なのか、
それとも地縛霊と呼ばれる土着型のものなのか、
そして、その存在は何故、その家や土地に執着しているのか。
はたまた、それらの存在が本当にいるのであれば、どのような適切な対処方法があるのか。
ここで具体的に書いてしまうと、この文章の上っ面だけを読んで
都合よく真似をしようとする自称霊能者たちも少なからずいるので、
全ての方法、霊的世界と協力した浄霊の手続きなどはお伝えできないのですが、
詳しく説明するならば、
しっかりとした手段、方法、明確な理由まで説明できなければいけません。
自称・霊感があるとされるユタたちの場合は、
ほぼ99%、これらの具体的な説明が一切できないと思います。
何故なら、全て思い込みの世界だから。
そして、そういうプロセスまで説明できず、または理解もせずに
いい加減なことしか伝えられない程度のユタの発言なんて、全てまやかし、嘘、
被害妄想のような思い込みですから、一切信じなくて大丈夫だということも
声を大にしてお伝えしたいと思います。
あと、個人的には、その友人と呼ばれる人にも疑問符がつきました。
もし仮に僕が大切な友人の家にご招待されて、
本当にその場に幽霊の類がいたり、霊的感覚が乱れるようなおかしな空気を感じたとしても、
ただ「気分が悪くなった。この家、おかしい」と相手に伝えたら、
相手の家族が、どのような不安に陥るのか、そのことで大切な友人家族が
必要以上の心配を抱えてしまうのが一番よくないことだな・・・と判断して、
余計なことは一切言わないと思うのです。
何でも感じたこと、思ったことを伝え合えるのが
親しい友人、家族の証拠だと勘違いしている人たちもいますが、
本当に大切な間柄だからこそ、言うべきことは言うけれど、
伝えることによって必要以上にその関係性が崩れてしまうようなことならば、
敢えて伝えないで心に留めておくことも大切です。
まさに「親しき仲にも礼儀あり」。
程良い距離感は、どんな人付き合いにおいても難しいものかも知れませんが、
本当に、その友人のためを思っているのなら、
たとえ、その友人の家で気分が悪くなったとしても、それを見えない霊のせいにしたり、
ユタを勝手に呼んでお祓いをお願いしたりするような身勝手な言動は慎むはずなのです。
本人は無意識かも知れませんし、心の底から親切心で、
お友達のことを思って、そのような言動をとったのかも知れませんが、
この程度の配慮が出来ないような人間関係の構築しか出来ない人は、
あくまで僕、個人としては絶対にお友達になれないタイプでもあります。
あと、これは男性でも女性でもよくある裏マウンティングの光景なのですが。
昔はとても仲が良かった間柄だったとしても、
相手が成長し、就職だったり、結婚だったり、出産だったり、
それぞれの人生のステージが変わると、何か特別な理由がなかったとしても、
疎遠になったり、それぞれ違う環境に適応して距離が出来ることがよくあります。
その逆で色々な人生経験を重ねて、色々な生活環境が変わって
また疎遠だった人たちと親しくなり程良い距離感で
お付き合いできるようになることもよくあるものです。
その変化を当たり前の自然現象だと思えず、いつまで経っても一方的に
「あの人はこれまで仲良くしてくれたのに、急に冷たくなって私を捨てた。
あの人は幸せな家庭も築いて、子供にも恵まれて、立派な家も建てて
とても幸せそうにしているのに、私1人だけおいてけぼりにされた。
私の苦労や悲しみなんて、あなたには理解できないでしょうね。」と
完全に激しい思い込みの捻くれブスに劣化してしまうケースも多々あります。
自分でその「捻くれブス」を自覚できていれば、
まだ客観的に自分の弱さをしっかり認められている証拠ですから十分立派なのですが、
中にはそういう醜い感情が自分の中にあることに気づかず、
親切心を装って、相手を陥れようとするケースもあり、
沖縄のユタ問題では、結構、これが絡んでいることがあるのです。
女性同士の付き合いにしても、男性にしても、
これまで仲良くしてくれた相手が急に疎遠になってしまったり、
自分とは違う生活環境に身を置くようになり頻繁にコミュニケーションをとってくれなくなったり、
はたまたこちらに思い当たることがなくても、一方的に嫉妬される要素は
いかようにでもあり得ることです。
そのようなことが積み重なってくると、
本人の嫉妬心を隠しながら、親切を装って、
「あなたの家に行ったら気分が悪くなった。」
「あなたの家族が、なんか元気がないように感じた。大丈夫?」と
ユタ関連の出来事であるかのように装い、余計な心配の種を残して帰っていく・・・。
そして、おおよそのユタは霊的世界の知識が足りないため、
依頼者が「この家が悪いと感じるんです。」と相談すれば、
激しい思い込みで、「あぁ、ここは確実に悪い土地だ。」と同調してお祓いを
求めてくるのまで計算づくというか、自然な流れなので、
それで更に相手に不安という要素を残しておく・・・。
これを完全に無意識でやってしまう人が多いことも特筆すべき点だと思います。
自分の中にある嫉妬心や、取り残されてしまった寂しさ、悲しさを直視できず、
大切な友人を想う親切心という名のお節介に気持ちを変換させて、
無意識に相手を陥れようとする行為が、サーダカーと呼ばれる人たちには
とても多く見受けられます。
感受性が強く、情緒不安定、おまけに自分の負の感情を素直に認められないため、
それと向き合うことから逃げて、親切心という仮面をかぶって、
「視えた、聞こえた、感じた」と、嫉妬する対象の人たちを無意識に陥れる行為。
これが「無意識」だから厄介なのです。
そして、それを知らされた友人である当事者たちは、
「えっ!?あの子がまさか、そんな計算高いことするはずがない。
普段は優しい人で、だから友人でいるのだから。」と、なかなかその事実を
受け入れることが出来ないものです。
何度もお伝えする通り、僕にはこういう「友達」はいません。
本当の親切心とお節介の区別がつかないような中途半端な人とは
プライベートでは絶対に仲良くなれないからです。
こういう出来事に不運にも巻き込まれてしまった心優しい当事者の方には
心底同情するのですが、それと同時に、そのご本人にも、
人との距離感をもう一度見つめ直すという課題があることに気づきますよね。
それは家族であれ、友人であれ、その他の人間関係であれ、
これまでの人付き合いのスタンスでは、
他の誰かの言動に振り回される傾向があったからこそ、
そこをもう一度見つめ直し、健全な関係がどういうものなのかを知る努力をしていく・・・という。
沖縄でサーダカーと呼ばれる感受性豊かで、霊感が強いと自称している人たちのほとんどは、
心療内科や精神科の受診、治療が必要な精神疾患です。
もしあなたの周りの友人、職場の人、その他で関わる人たちが、
何の確証もない中、中途半端に
「視える、聞こえる、感じる」と周りの不安も一切考えずに口走るようであれば、
それはサーダカーである前に、ただの情緒不安定や
統合失調症である場合がほとんどですから、
そういう人たちの言葉は真に受けず適度に聞き流してスルーするか、
可能であれば脳神経外科や心療内科、精神科の受診をお勧めして下さい。
(ほぼ100%、自分は病気じゃないと逆切れしますが、笑)
また、このブログをご覧になっているご本人自身に、そのような現象が起き、
そのことで日常生活に支障が出ているのであれば、
ユタ買いよりも、先ずは心療内科や精神科を受診して、適切な薬の処方を受けるという
勇気を出して行動して欲しいのです。
ほとんど精神疾患の類か、統合失調症の症状の一部ですから、
これは適切な治療が出来さえすれば、ある程度は治まってくる病気なのです。
少なくとも、それでユタの元に通い、修行をしないといけないとか、
日常生活を送ることが出来ないような状況になること自体が一番危険ですから、
先ずは病院を受診する勇気ある行動を取ることが大切です。
そして中途半端な自称、ユタたちよ。
もし本当に視える、聞こえる、感じるが本当で、
家や土地や人に何か悪いものが憑いているのであれば、
その具体的な原因と理由、どのような対処方法で解決できるのか、
その解決方法は、どの霊的世界の手段をお借りしてそのお手伝いをするのか、
中途半端ではなく、具体的に目の前にいる人たちが納得する形で説明してごらんなさい。
それが出来ないのであれば、中途半端に視える、聞こえる、感じるは一切言わず、
口チャックしておけ・・・と声を大にしてお伝えしたい。
沖縄のユタ問題は、精神疾患や統合失調症の人たちを
サーダカーと特別扱いして許容する文化がある限り、なくならない現実ですが、
僕はこれまでも、これからも、同じようなことで立ち止まる人たちとご縁がある限り、
「それは間違っていますよ。」とお伝えし続けていくことでしょう。
中途半端なサーダカーと詐欺師のようなユタに翻弄される人たちと接して、
その誤解を解いた上でも、尚、そのモヤモヤが残っていたので、
仕事後の一服の清涼剤となる綺麗な海や美味しい飲み物は本当に格別でした。
皆さんも、中途半端なサーダカーと視える、聞こえる、感じるを
無責任に発言し続ける怪しいユタにはご用心を。
Posted by 山野本竜規 at 16:45
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