山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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ミーハーだけにはなりたくない理由。~声なき声を大切にしたい~

2020年02月17日

ミーハーだけにはなりたくない理由。~声なき声を大切にしたい~

あっという間に2月も半分を過ぎました。
昨日から沖縄地方はグッと冷え込みが厳しくなり、
今日は西日本から沖縄にかけて寒気の影響で寒い1日となるようです。
該当地域にお住まいの皆様、どうぞ暖かくしてお過ごし下さいね。

冒頭の写真は先日、ドライブがてら立ち寄った
沖縄本島南部にある公園の桜。つい先日まで沖縄は
2月だというのに3日連続、25℃を超える夏日を記録したばかりで
蒸し暑かったので日中は半袖で過ごすような陽気で、
なんだか緋寒桜の雰囲気も、暑さには似合わず不思議な感じでした。

沖縄の桜前線は1月下旬から2月中旬あたりにかけて、
本土とは真逆で沖縄本島北部から南下していくため、南部の桜は先日の暖かさもあり、
まだ5~6部咲きくらいで、今週あたりが満開、お花見のピークだろうなと思います。

本土のソメイヨシノの淡くて薄いピンク色も大好きなのですが、
沖縄の緋寒桜の鮮やかな真っピンクも趣があり、個人的にはどちらも大好きです。
あと1ヶ月もすると、今度は本土のソメイヨシノの開花発表も
ちらほら聞かれるようになると思うので、その時期に本土に出かけて
2度、お花見を楽しむことが出来るのも、沖縄県民の特権の1つでしょうか。

ミーハーだけにはなりたくない理由。~声なき声を大切にしたい~ ミーハーだけにはなりたくない理由。~声なき声を大切にしたい~

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それはさておき、やはり花を眺めていると、おのずと心が柔らかくなり和むのと同じように、
人の美しい所作というか、良い心の在り方、生き様を垣間見る機会があると
それだけで勇気や元気がもらえるものだと思います。

人の人生も花が咲く様に例えられることが多いと思いますが、
個人的には、無理に花を咲かせようとしなくても、
人の内面の美しさというものは、おのずと滲み出てくるものであって、
そういう自然な美しさこそ、花にも勝るとも劣らない素敵なものではないかなと常々感じています。

とある人は、結婚を機に全く身寄りもない縁も所縁もない地域に嫁ぐことになり、
実際にその縁遠かった地域で生活するようになると、
あまりにも田舎で近所の人たちも「よそ者が来た。」と寄り付かず、
家の外で散歩の途中、地域の人たちとすれ違っても誰も挨拶すらしてくれなかったそうです。

それでも、その方の信念の中で、
「たとえ向こうが挨拶してくれなかったとしても、
いくら無視され続けたとしても、私だけは絶対に元気良く挨拶する。」と覚悟を決めて
外出で地元の人とすれ違う度に挨拶し続けていくうちに、
最初は「よそ者め!」と敵意むき出しだったような人たちも少しずつ表情を和らげて挨拶するようになり、
今ではその人の周りには地域の人たちが寄ってきては、
新鮮な野菜や手作りの総菜などをお裾分けしてくれるようになったそうです。

おまけに世代交代などもあり、とても閉鎖的だった地域が外部からの移住者も増えて
住民同士のコミュニケーションも快活なものになり、雰囲気自体も格段に良くなったそうです。

これって出来そうでいて、なかなか出来ないことであり、
こういう話を聞いているだけで、こちらも元気になります。
あっ、ちなみにこの話は弟の奥さんの実体験です、笑。

閑話休題。

何がお伝えしたいのかと言いますと、
人はどうしても目立つもの、表に出ているもの、分かりやすいものだけに心が奪われがちで
一見、美しい花にみせかけた毒キノコのような内面を持つ人物のほうがもてはやされたり、
色々な意味で得をしているような側面もあり、
そういう生き方だけに憧れるセンスのない人間にはなりたくないものだな・・・
と思うことが多いと同時に、
本当に素敵なもの、素晴らしい生き方をしている人たちは自ら声を上げることはしないけれど、
それぞれの生活を大切に守りながら、良い生き方を積み重ねておられるということ。

この世の中には特に表立って何かを成し遂げたり、
強烈な個性を発揮して有名になったりするようなことはなく無名だったとしても、
人として素晴らしい生き方を実践する方はいくらでも存在します。

「声なき声」とでも表現しましょうか。

そういう人たちは、
世間に向かって何かを必死にアピールしたりすることはなく、
ただ自分が良いと感じるもの、生き方を大切にしながら淡々と日々の生活を大切に
積み重ねておられます。

僕自身、放送局に所属していた時、
「どうせ何かしらの情報発信をするのであれば、こういう声なき声、
自分からは決して表に出たりすることはないけれど、素敵な生き方をしている人」の
声や生き様を表に出すことで、そこに触れた人たちが、
勇気や元気をもらえるような情報発信が出来たらいいな・・・と
常々感じて仕事をしていた思い出があります。

例えばスポーツであれば、
勝負の世界なので勝ち負けで言えば優勝チームに注目が集まるのは当然のことなので、
努力の結果、優勝した人たちに敬意を表しながらも、
そこはミーハーなものが大好きな放送局員にインタビューなどを任せて
その陰で泣いている人たちや、表には出ないけれど
選手たちを陰で支えていた人などに焦点を当てて取材活動をする・・・というような感じです。

それがスポーツであれ、報道であれ、情報番組であれ、
全ての仕事において、目立つ仕事だけを好み、そこだけしか興味関心がない
ミーハー大好き人間も一定数の割合でいたので、
それはそういう人たちが好きなようにしたらいいけれど、
世の中には、目立つものだけが全てではなくて、
むしろ、その逆で目立たないし、自らは声を上げないけれど、
とても素敵で立派な生き方をしている人たち、活動のほうが多数だということを
忘れてはいけないと思います。

そして声なき声、決して表に出ることはないけれど、
とても素敵な生き方をしている人たちの生き様というものは、
取材活動をする上において、自らの足で稼がなければ絶対に出会うことはありませんでした。

「足で稼ぐ」という表現は業界用語かも知れませんが、
要するに、自ら積極的に色々なコミュニティに飛び込んで、
1対1でじっくり誰かと向き合い、話をしていくうちに、良い人を紹介してもらったり、
「こういう人が知り合いにいるんだよね。」と会話の中で教えてもらえたりする訳で、
それはネット上のやり取りや、目立つものだけに安易に飛びつく人たちでは
成し得ない人との繋がり方でもあります。

いわゆる、こういうこともラクして得することが出来ない財産のようなもので、
何事も良い生き方をしている人、素敵な何かに触れるためには、
自ら動いて誠心誠意何かと向き合う姿勢を積み重ねていくことが大切なのだと感じています。

別に大輪の花を咲かせるような目立つ生き方をしなかったとしても、
その人なりに良いと感じる信念を守りながら、日々を積み重ねている人たちは、
滲み出てくる内面の美しさや素敵な雰囲気というものが必ず宿り、
それは分かる人には分かるし、分からない人には一生涯理解出来ないものだと思います。

綺麗に咲く目立つ花も綺麗なのですが、
個人的に、それ以上に良いと感じるのは、目立つものではないけれど、
確実に素晴らしくて素敵な何かを宿している人、もの、出来事です。

そしてそれは、目立つものばかり、分かりやすいものばかりだけに注目し、
そこだけに心を注いでいては、決して見つけることが出来ない宝物でもあります。

ふと鮮やかに咲く緋寒桜を眺めながら、そのようなことをつらつら感じました。



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Posted by 山野本竜規 at 12:37 │心の在り方 (2,645)▼