山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 怪しい教祖様は素直に謝ることが出来ない。
*2025年、上半期の各県外出張スケジュールはこちらです。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

怪しい教祖様は素直に謝ることが出来ない。

2018年11月26日

怪しい教祖様は素直に謝ることが出来ない。

昨日で無事に全ての北海道出張の仕事を終えて、先ほど沖縄の自宅に帰ってきました。
今朝の札幌の最低気温が4℃ほど、夕方前に沖縄に到着した時の気温が25℃超え。
那覇空港に到着した途端、暑くて体中から汗が噴き出してきて
自宅に帰ってきてから部屋の窓を全開にして今、半袖半パンでこのブログを更新している次第です。

何はともあれ無事に北海道での仕事を終えることが出来、
仕事でお会いした北海道にお住まいのお1人、お1人の顔を思い浮かべながら
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今回、お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

次回、出張で訪問するのは半年後くらいになりますので、
その際も、どうぞ宜しくお願い致します。

特に今回、北海道でお会いした皆さんと色々なお話をする中で感じたことなのですが、
どんな人であれ、大なり小なり日常生活においての不都合さ、不条理さ、
はたまた行き詰まりやもどかしさなどを抱えているもので、
それでも現実逃避することなく、その現状をしっかりと受け止め、
今できることを1つ1つ積み重ねながら、毎日の生活と向き合っておられる方ばかりで、
僕はこういう人たちの姿こそ、本当に美しく素敵だな・・・と素直に感じます。

目の前には何かしらの大きな壁がある、上手くいかないことがある、
思い通りにいかない現実がある・・・。

だけれども、そこで怪しい現世利益だけを謳う怪しい宗教やカルト教団、教祖様、
巷に毒キノコのようにポコポコ生えては消えるスピリチュアルリーダーを名乗る輩に
現実逃避して依存しようとするのではなく、
現実問題は現実問題としてしっかり逃げずに向き合い、なんとか試行錯誤、創意工夫しながら
前に進もうとされている姿そのものが美しいのです。

本当は先が見えなくて不安な気持ちでいっぱいになることでしょうし、
その不安な気持ちのドツボにハマってしまったら益々情緒不安定になる、
または自らその負のスパイラルに陥ってしまう道を選んで
巷にあふれている怪しい人物や思想、ものなどに依存することも簡単に出来るはずなのに、
敢えてそういう逃げ道を作らずに、自分で一生懸命考えて、
今日1日をどのように向き合って積み重ねるのかに全力を注ぐ姿というものは、
理屈抜きに、それだけで素晴らしいことだと思います。

人によって夫婦関係やその他の家族のことで悩み、お金のことで悩み、仕事のことで悩み、
漠然としたこれからの自分の将来のことについて悩み・・・。

誰もが抱える日常生活においての目の前の課題を、
現実逃避という形ではなく、真正面からしっかりと向き合い、
答えが分からないけれども、とにかくその日1日に精一杯の想いを込めて生きる姿勢。

これは僕自身が常々、意識している人として真っ当な人生の歩み方の基本であり、
いくら悩んでいようが、答えが見出せなかろうが、落ち込んでいようが、
それでも刻々と時間が進んでいく目の前の生活と、それなりに向き合っていく姿勢さえあれば、
それが何よりも尊ぶべきことであり、それが出来ている時点で素晴らしいと感じています。

だから強くお伝えできることがあるのだとすれば、
悩みながらも、不安を抱えながらも、もどかしい想いを抱えながらでも、
変な思想、変な人に依存せずに、真っ当に毎日の生活を送ることが出来ているだけで、
自身に対する、しっかりとした等身大の誇りをお持ちになって大丈夫だということです。

どんなに大変であったとしても、良識を失わず、人として真っ当に生きる努力をする人こそが、
心豊かな人生を積み重ねていける人だと、多くの方とお会いする中で実感していますから。

閑話休題。

実は北海道出張中も仕事以外の時間ではツイッターであれこれ思うことについて
呟いていたのですが、
スピ系界隈ではそれなりに知られている教祖様たちの荒唐無稽で無責任な発言や
どこからどう捉えてみても、意志薄弱で依存体質の信者を信用させて
上っ面の活動を維持しようとしている浅はかさが目に余るものがあり、
その矛盾点、疑問点について投稿しておりました。

正直、それらの怪しい教祖様たちに恨みもなければ、一切の関りもありませんし、
全く専門分野外の異次元の輩だと個人的に区別しているので
相手を懲らしめようとか、陥れようとか、潰そうという気持ちも全くありません。

ですが、やはりダメなことはダメであり、何かしらの情報発信をするのであれば、
なるべくしっかりとした専門知識を身に付け、勉強をし然るべき経験を積み重ねた上で
良識ある人たちからの共感を得られる内容でなければ、
それはただの上っ面の偽者、偽物ということになります。

怪しい教祖様は素直に謝ることが出来ない。

ここ最近は、然るべき学位や資格を得ているその専門家でもないのに、
上っ面の知識だけをかき集めて、あたかも分かったかのようなことを間違った情報として
大勢の人に向けて発信する怪しいスピ系教祖様が多いようで、
上記のツイッターの発言は、それを受けてのものです。

神道や神社のことについて上っ面の知識を駆使して情報発信している
自称スピリチュアルリーダーがいて、その人物を持ち上げる似たような輩が
しきりにブログやツイッターなどで、その間違った情報をシェアしていたのですが、
まさにばい菌が広がるのと同じ現象ですよ。

その人物は神道や伊勢神宮、さらには天皇陛下のことについてまで言及していたのですが、
現在の天皇のことを「平成天皇」と表現し、(元号を使うのは崩御か退位された以降のみ)
神道やその他の業務に従事することを「カミゴト」と勝手なカタカナ表記で
チャラい表現に変えて、同じように浅はかな知識しか持ち合わせない
何も考えずに怪しい教祖様の間違った情報を鵜呑みにする馬鹿な人たちを使って
拡散させてしまったという。

これでも僕も一応、資格を有する神社神職のはしくれですが、
間違っても「カミゴト」なんて言葉は恥ずかしくて絶対に使いませんし、
神道を語る上で必要不可欠な天皇陛下のことに関して何かしらのことを表現するのは
立場も違うため畏れ多くて滅多なことでは触れることがありません。

また神社神職だからこそ、むやみやたらに「神」という言葉、表現は
なるべく避けるようにしています。何故なら、そこにも本当の意味での畏敬の念があるからです。

怪しいスピリチュアルリーダーや、上っ面の知識しか持ち合わせていない自称宗教家ほど
「神」「神様」「龍神」という言葉を使いたがりますが、
本当にそれらの存在に対して、職業人としての誇りと姿勢があるのであれば、
その言葉は滅多なことでは使ってはいけないという
当たり前のルールがあることすら知らない恥さらしを自ら行っているようなものでもあります。

そして人は間違ったら、素直にその間違いを謝罪し訂正するべきですが、
見栄やプライド、自分盛りに執心することに情熱を注いでいるようで、
本人のイメージダウンに繋がる間違いは、素直に謝る、素直になるということをせず
いつの間にやら分からぬ間に言い間違いや表現を書き換える狡賢いことを平気でやります。

「平成天皇」を使って外部の良識のある人から指摘があったのか、
その自称スピリチュアルリーダーは、いつの間にやら何の訂正も謝罪も
自らの浅はかさを謝罪することもなく、その表記を変えていたという証拠画像までツイッターで
出回っているほどです。

どんなに表面的に素晴らしいことを言っていたり、それっぽい活動をしていたりしたとしても、
幼稚園児でも行動できるような「間違ったら素直に謝り、訂正しましょう。」という
人として基本的なことすら、自らのイメージダウンに繋がると判断して無視する・・・。

こういう人として幼稚でダメな人物がスピリチュアルリーダーを名乗り、
「カミゴト」を自分の役目だと吹聴し、資格も知識も経験もないのに、
その時の流行やノリで上っ面のものだけパクって、同じような知識のない馬鹿な信者を騙す
やり方は詐欺そのものだと思います。

というより理屈云々は一切抜きにして、
素直に自らの間違いや非を認めて謝ることすら出来ない大人は
僕は個人的に相容れないというか、真っ当な人とは思えないので、
それがどのような職業、肩書、立場の人であろうが、その時点で絶対に有り得ません。

ええ、僕が糾弾しているのは、冬至の日の朝に首里城に500人の女性を集めて
祈りをささげるという意味不明なイベントに関わっている人たちのことですよ。

*「またまた怪しいイベントが沖縄で開かれるようで。~騙される馬鹿に落ちぶれる人たち~」

こういう怪しいスピ系のリーダーや教祖様たちは
決して悪気や悪意があって何かしらのことを始めたのではないということも十分承知しておりますが、
だからこそ厄介なのです。

自分が良いことをやっているつもり、人のためになることをやっているつもりでも、
いつしかその活動が暴走し始めて、多くの人の心を惑わし、間違った知識や情報を
あたかも本物のように伝えて、益々、色々な人たちをミスリードし、路頭に迷わせてしまう事実に
気づいていないだけか、目をそらしているだけか、どちらかでしょうけれど、
そこが何よりも質が悪いと常々感じています。

こういう怪しい教祖様たちはいつの時代も、どこにでも
毒キノコのようにポコポコ生えてきては消えていく歴史を繰り返しているため、
この歴史、流れを変えることは出来ませんし、これからもずっと続くことでしょう。

だからこそ、それらの影響を受ける側の人たちが、
聡明にならなければいけないと思うのです。

日常生活の中で悩みがあったり、不安があったり、自信が持てなかったりすると、
ついついラクして全てが上手くいくを謳う思想やメソッド、
またはそのようにうそぶく自称カウンセラーや自称スピリチュアルリーダーなどの
浅薄な文言、思想、活動に心を動かされてしまう依存心の強い人もいるのですが、
大切なのは、その依存先、妄信先が間違っていたと自分自身で気づいた時、
いかに素直に内省し、迷惑をかけた人たちに謝罪をし、
自分自身の力で健全な心と身体、生活を取り戻していく姿勢を示すのかだと感じています。

どこぞの自称スピリチュアルリーダーのように自分の間違いや
イメージダウンに繋がることを見栄やプライド、その他の卑しい考え方からなかったものにし、
素直に謝罪したり反省したりすることが出来ない時点で人としてダメだということは先述した通りです。

その真似をするのか、それとも自らの間違いや過ちは素直に反省、謝罪をし、
周りの理解を得られる、得られないは別にして、また健全な生活を築き上げていく姿勢を
示し続けることが出来るかどうかで、その後の明暗が分かれてくると思うのです。

僕自身も、こういう人としてダメな人たちを間接的に触れる機会がある度に
「こういう恥ずかしくて情けない生き方だけはしないように努めよう。」
と反面教師にすることしか出来ませんが、
やはり何事も特別な演出なんて一切不要で、1日、1日、真っ当な生活を
積み重ねていくことだけに専念していれば、それだけで十分だと感じています。

自らの過ちを素直に謝ることが出来ない人、その失敗を隠すような卑怯な人は、
どんな職業であったとしても、どんな生活を送っていたとしても、
本当の意味での信用に値する人にはなれません。

だからこそ、素直さや正直さというものは、どんな人であったとしても
失ってはいけないと感じますし、そこがなくなってしまえば、一気に良識ある人たちの信頼を
失ってしまうことになるのでしょう。

僕は多くの馬鹿な人たちに理解や共感を得ようとは一切思いませんが、
きっと少数派であろう、しっかりとした良識のある健全な生き方をする人たちから
著しく信頼を失ってしまうことは何よりも悲しいことだと個人的に感じています。

まぁ、良識が欠けて嘘を平気で息を吐くように書けるようになった魂を売った
自称スピリチュアルリーダーや教祖様たちは、
その逆の価値観で人付き合いをしていることでしょうけれど、笑。

ふと真っ当な人たちが、日々の生活を直向きに積み重ねておられる姿に励まされ、
その逆を生きる輩が心底恥ずかしくて情けなく感じる、その両方をしっかりと垣間見ることが出来た
北海道出張でした。



同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
充実した春休み。
充実した春休み。(2025-04-01 21:29)

Posted by 山野本竜規 at 18:10 │心の在り方 (2,645)▼