*5月11日(日)、6年ぶりの東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。
お金に卑しい人との仕事は一切お断りです。
2018年11月12日

またまた月曜日がやって来ました。
僕はちょうど1週間前、東海地方への出張中で最終日に三重県伊勢市で仕事だったのですが、
伊勢は僕が神社神職の資格を取得し神社奉職でもお世話になり、
ナカトリモチとしての活動をスタートさせた思い出深い地域のため、
それなりに馴染みのお店もあり、仕事やプライベートなどで伊勢を訪れることがあると
「これだけは沖縄に帰る前に食べておきたい。」というものがありまして。
その中のマストの1つは、冒頭の写真にある美味しそうなお寿司のお店。
観光客というよりは、地元伊勢市民に愛される老舗で、自家用車でなければ
辿り着けないところにあるため、まさに隠れた名店といったところでしょうか。
伊勢市の伊勢神宮外宮と内宮の中間くらいの場所にある寿司吟というお寿司屋さんです。
寿司吟は僕が伊勢で生活している頃から特別な時に通っていたお店で、
ナカトリモチとして活動を始め、伊勢を離れた後も
沖縄から年に1回は必ず仕事などで伊勢を訪れる機会があり、その時のセットで
ほとんど必ず立ち寄るほどお気に入りのお店でもあります。
寿司吟には仕事熱心でいかにも職人さんという風格の大将と、
僕と同じ年齢で、とても人当りの良い料理人の大輔さんという男性の方が主に切り盛りされており、
僕もいつもアポなしで、ふらっとお店を訪れることが多いのに、
いつも快く受け入れて下さって、美味しいお寿司を提供して下さいます。
昼は11時30分からオープンなのですが、オープンと同時に地元の人たちが
次から次へとやってきて、お得な定食類などを注文し、
ひっきりなしにお客さんが訪れて賑わっています。
ちなみに僕と同じ歳の大輔さんは、とても沖縄が大好きで毎年休みが取れると
ご自身のご家族と一緒に沖縄旅行に行かれるほど。
おまけに僕から名乗り出る前に随分前から僕のことをご存知だったという経緯もあり、
(伊勢時代は神社神職の傍ら、伊勢のケーブルテレビでニュースキャスターの仕事をしていたため)
お店では色々プライベートなお話をさせてもらうことも多く、
今でもその交流はずっと続いています。
大輔さんはSNSも上手に活用されているため、寿司吟のインスタグラムのアカウントもあり、
僕は主にこの寿司吟さんのインスタグラムを見ながら、
「あぁ、今の旬はこの魚なんだ。」「美味しそうだな。」
「次に伊勢を訪れたら、これを注文してみよう。」と遠い沖縄から、
大輔さんが発信される美味しそうな画像を眺めて妄想を膨らませることがよくあります。
*寿司吟・大輔さんのインスタグラムアカウント
このブログの冒頭の写真にある大きな海老は、インスタグラムの中でも紹介してある
伊勢湾で獲れた天然の車海老で、僕は先週、お店を訪れた時に大輔さんに
お任せで沖縄ではあまり食べられないものをオーダーしたら、この車海老が出てきたのですが、
これが本当に甘くて食感も良くて一度食べたら忘れられない味で感動したほどです。
1週間前に戴いたばかりなのに、このブログを書いていたら既に口の中が
あの美味しさを思い出して自然と唾を飲み込んでしまうほど、笑。
伊勢の名物の1つでもある「てこね寿司」という
カツオやマグロの漬けを酢飯の上に乗せたものを始め、(寿司吟の場合はマグロの漬け)
その手こね寿司がセットになったお得な定食などもあるため、
僕は伊勢を訪れる機会がある友人、知人がいたら、
生魚が大丈夫な人であれば、必ずお勧めしているお店でもあります。




このブログをご覧の皆さんの中で、お伊勢参りや伊勢に行かれることがあれば
是非、リストの1つに入れてお店に足を運ばれてみて下さいね。
閑話休題。
今日はお気に入りのお店の紹介をするつもりはなかったのですが、
やはりあの美味しそうなお寿司の画像だけ載せておいて何も触れない訳にはいかず、
ついつい僕の寿司吟LOVEが止まらなくなってしまって話が脱線してしまいました。
今日の本題は、お寿司ではなく、「仕事に対する対価」についてなんです。
寿司職人の方は長年、それこそ新人時代から色々な下積みや経験を経て
その技術などを身に付け、ようやく調理場、カウンターに立てるようになるもので
そこには職人の方に対する敬意を含めた
技術料、経験料を代金としてお支払いしている側面があります。
どんな仕事であれ、その労働力に対して対価が支払われるものですが、
中にはその労働力(経験や技術)に対する敬意がなく、
いかに安く値切って得をすることしか考えられない人たちもいるものです。
仕事に付随する技術や経験というものは、一朝一夕で身に付けられるようなものではなく、
それが専門的なものであればあるほど、本来であれば、
その見えない部分の努力の積み重ねに思いを馳せて敬意を抱くものだと思います。
ところが、そのような技術や経験、長年かけてその本人が培ってきたノウハウ、
苦労に苦労を重ねて試行錯誤、創意工夫しながら身に付けてきた技術や能力、労働力を
ただの「モノ」としか捉えずに、その対価であるお金を出し渋るような人たちも
一定数存在して、こういう心根が下品な人たちというのは
接していて心地良いものではありません。
沖縄でも、その他の県外でも、日本的な考え方の1つに
「皆のためになること、何かしらの社会貢献になることはボランティアでやるべき。」という
全くもっておかしな精神論が根強く残っているため、
中にはそれを当たり前のように求めてくる卑しい人たちもいます。
つまりは無償や、それに近い形で、こちらが長年培ってきた技術、労働力を利用しようとして、
「そういうことはボランティアでやって当たり前でしょう?」と悪気もなく
何の対価も支払うことをせず、「儲かった」「得した」「タダでやってもらった」と
陰でほくそ笑むような輩が中には本当にいるものなのです。
実は先日、僕の元に、これと似たようなオファーがありました。
その方は北海道在住で神社関連ではありませんが、
僕と同じ大学出身で同窓会名簿のようなもので僕の存在を知り、
数年前から僕のブログをご覧になるようになったそうです。
そして僕がナカトリモチとして全国各地の出張をしていることを知り、
今月末に北海道に行くことが判明した途端、メールを送ってこられました。
「11月に北海道にお越しになられるのであれば、
是非、私が所属している青年会議所のゲストとして神道や神職の観点から
日々の生活に役立つ心構えなどの講演をお願いしたいのです。」と。
出身大学が同じというだけで、その方とは全く面識もありませんし、
最初から「こちらの事情も一切考えないような不躾な内容が多いな。」と感じていたのですが、
最終的に僕もボランティアで北海道出張をしている訳ではないので、
かなり考慮したつもりで、
本来、単発の講演依頼であれば沖縄・北海道間の交通費と講演料を戴くことになるけれど、
そこはカットして札幌から現地までの交通費と講演料が必要という
当たり前のリクエストを返信したら・・・。
なんと先方、「神社の活動をされている方は世のため、人のために活動されていると思いますし、
まさか講演料の提示をされるなんて思ってもいませんでした。
現地までご自身でお越し頂いて無料で講演をお願いするつもりでいましたので、
今回は残念ながらお呼びできません。」と。
「???????」
いやっ、何なんでしょうか、この一方的な上から目線は、汗。
先ず僕はボランティアでナカトリモチの活動をしている訳ではなく、
生活のためにこの仕事を選んでいることをご理解頂けない時点で話が噛み合うはずもありません。
しかも講演料だって札幌出張中の1日分の収入よりかなり少ない額で提示しており、
おまけに滞在先の札幌からは特急電車で片道3時間ほどかかる地域で、
その交通費の提示すら全くない・・・。
ここで敢えてどこの青年会議所というところまでは言及しませんが、
他の著名な方であれば、ある程度の足代、講演料はお支払いするはずですよね。
これでも青年会議所に所属している友人、知人はそれなりにいるため、
彼らがどのようなタイミングで講演を依頼し、その予算がどこから出るのか、
その際、どのような流れで実現させていくのかという内情や懐事情は、
それなりに把握しているつもりです、笑。
要するに足元を見られているというか、完全に舐められている訳です。
まだ会ったこともない見ず知らずの相手に。
これにはさすがに僕自身も適当に受け流す訳にはいかず、
その同じ大学出身で僕のブログ読者というだけで
一方的に不躾な講演依頼をしてきた担当者とやらに、それがどれだけ失礼なことなのか、
なるべく怒りを抑えて、とても丁寧な文章にしてお送りしましたが、
それ以降、既に2週間ほど経ちますが全く音沙汰無し。
まぁ、所詮はその程度だったので無理して
ボランティアをするほどの相手ではなかったということでしょう。
*「相手の人生の貴重な時間、労力を奪うバカ者たち。」
「皆が幸せになれれば、それでいいさぁ~。」
沖縄には、こういう緩いゆいまーる精神が存在して、それはある部分では良いのですが、
それ故、そこに発生する労働力や知恵、経験、技術などに対して
「無償でやってもらうのが当然」という、
とても図々しい発想がある人たちが一定数存在します。
沖縄だけに留まらず、今回の不躾なボランティア講演依頼にしてもそうですが、
どの業界にでも必ず一定数、相手の足元を見て、タダで貴重な労働力や経験を搾取しよう、
またはほぼタダ同然の安い値段でなるべく得して、相手の技術や経験を拝借しようとする
本当に腹立たしくて厚かましい、悪い意味でハートが強い輩がいるものです。
どのような職業の人であれ、その労働力を提供するに至るまでに、
どれだけの技術の研鑽と、人知れぬ努力、経験の積み重ねがあったのか、
その部分に思いを馳せることが出来ない人というのは、
一生涯、ラクして得して何かを得ることしか考えられない卑しい生き方を繰り返すことでしょう。
つい先日、ツイッターで話題になっていたのは、ハンドメイド作家さんが投稿した内容で、
日頃お世話になっている友人が母の誕生日祝いに手作りのアクセサリーを依頼したけれど、
送料込みで1500円ほどの破格の値段だったにも関わらず、
それでも「高い!」と支払いを拒否し、しまいには「ケチ、材料費なんて安いものなのに。」と
捨て台詞を吐いて絶交した内容を公開して炎上していました。
勿論、不躾な依頼をした「元」友人のあり得ない態度に対しての炎上です。
材料費はどれくらいのものか分かりませんが、
そこには作り手の材料選びや、実際の制作する労力、デザインなどのアイデアなど
色々な技術と経験などが含まれているはずなのです。
確かにどんな技術にも能力にも、その労働力の対価にも、
それぞれに見合った値段設定というものが存在しますが、
少なくともその背景にあるこれまで培ってきた経験や努力、技術の部分に関して
思いを馳せることが出来ないような下品な人になると、
上記のような残念な流れになって心ある人たちを傷つけたり、
不愉快な思いをさせてしまう結果になることは
ある程度、真っ当な人であれば誰もが想像できる部分だと思います。
やはり、どんな仕事をしている人であれ、その仕事を普通に労働力として提供するためには、
それなりの時間と労力、苦労や創意工夫の連続がある訳で、
そこに思いを馳せることが出来る人と、そうではない人とでは、
生き方の基盤が全く違ってくるため、全く別の人生を歩むことになるのだろうな・・・と感じています。
少なくとも僕は、何かしらの労働力を他の第三者から提供される時は、
その陰にある創意工夫や熱心さ、努力の積み重ねなどに思いを馳せながら、
そしてその部分に敬意を払いながら、感謝の気持ちと共に
然るべき対価をお支払いするようにしていますし、
これからも、この部分に関してはずっと変わらずに維持していきたい姿勢でもあります。
それと同時に「お金で何でも解決できる。」
「お金さえあれば何でも頼みごとを引き受けてくれる」という
拝金主義者や銭ゲバのような輩も、僕は心の底から大嫌いなので価値観は合いませんし、
何より生きる基盤が違ってきますから、どこまで行ったとしても相容れないと思います。
相手の労働力の背景に思いを馳せることが出来ずに得することしか考えない輩も、
その逆でお金で何とかなると考える拝金主義者も、
どちらも僕にとっては卑しい人であり、ブスな生き方そのものだと感じますので
公私共に関わることはないでしょうし、話が噛み合うはずもないので
やはり一生涯、ご縁はないことかと思います。
ふと相手にボランティアばかりを求めて労働力を搾取しようとする卑しい人たちを
直接的にも間接的にも垣間見ながら、
良い反面教師になったな・・・と感じた先週の出来事でした。
さぁ、今日からまた新しい1週間が始まります。
まともに働いて、まともにこれまで培ってきた技術、労働力を提供できるように
僕も、1つ1つの仕事としっかり心を込めて向き合っていきたいと思います。
*お知らせ*
*11月25日(日)・札幌ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*12月9日(日)・仙台ナカトリモチ勉強会、参加者募集中です。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付しております。
Posted by 山野本竜規 at 07:31
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