特に故障とか電池切れなどの原因ではないのですが、
これが結局、20分ほど続いて、また何事もなかったかのように定刻に戻ったので
それはそれで良かったのですが、
もともと電波系の機器との相性がよくないデストロイヤー体質でもあるため、
自身に何か原因があったのではないか・・・と振り返ってみても特に思い当たらず。
まぁ、終わり良ければ総て良しということで、
引き続き、デスクに座ってブログ更新をしている次第です。
それにしても、時計の秒針とは違って、実際の時間=人生というものは、
どんなに過去を後悔しようが、現在や未来を憂いて生きようが、
過去に時間を戻すことは出来ないし、未来のことなんて誰一人として分からないのが
この世の常でもあります。
僕自身、これから始まる沖縄の長くて不快指数が爆上がりする
梅雨や蒸し暑い夏を目前にして、やはり憂鬱な気持ちになるのですが、
だとしても、確実に5月、6月、7月・・・と時間や季節は進む訳で、
そこは避けて通ることが出来ないからこそ、
「とりあえず、今という時間と、ほんの少し先を見据えて心を注いで生活しよう。」と
なるべくリアルタイムの生活に立ち返るようにして1日1日を積み重ねていく姿勢を
大切にするように心がけています。
実は昨日までの仕事の慌ただしさの中で、とても心躍るというか、
「あぁ、やはり、このような人との向き合い方、生き方が理想的だな。」と
個人的に感じることがいくつも重なりまして。
それは、端的に言えば、「良識を持った、心ある人たち同士が繋がり、
そこから更に良いものを生み出していく人と人との良い循環」を
仕事でもプライベートでも大切にしていきたいなということ。
今回、色々な仕事の中で
「お互い何となく知っている間柄だけれども、直接ゆっくり
コミュニケーションを取ったことがない、または対面したことがない・・・。
けれど、きっとその人たちをお繋ぎしたら、
お互いにとっても、良い相乗効果が生まれるのではないかな。」という
仲介役に徹する機会が多くて、それが何よりも嬉しくて。
これは個人的な経験則で一概に十把一絡げには出来ないものなのですが、
心ある良い人たちというのは、往々にして、声を上げない人が多いものです。
今の世の中、というより昔から変わらず、
言ったもん勝ち、やったもん勝ち、声を大きくして叫び、目立ったもの勝ちで、
こういう人たちが表に出やすく、組織では調子良く引き立てられて出世したり、
何かと注目を浴びたりすることが多いものです。
それもまた社会全体の負の側面として、僕自身も頭では理解しつつも、
「それはこの世を生きていればよくあることだけれど、
やっぱり納得いかないし、理不尽だし、嫌な世の中だよな。
なんで、こんな卑怯な連中ばかり、または人としてダメな連中ばかりが
仕事でも、その他のことでも得することが多いのだろう。不愉快だな。」という思いは、
子供の頃からずっと抱いている、拭い去ることができない課題でもあります。
ただ、そんな負の側面が前面に出やすい世の中であったとしても、
必ずどこかに心ある生き方、自ら積極的に声を出すことはないけれど、
淡々と良い仕事を黙ってこなし、他の誰かのためになることをアピールもせず、
そっと生きておられる人たちが、それなりの数、存在するのも事実です。
自ら積極的に自分をアピールしないため、そこまで大きく目立つこともなく、
でも、実は声が大きな図々しい厚顔無恥な連中よりも、
桁違いに良い仕事ができたり、良心的で、お人柄も素晴らしいというケースが多く、
僕は若い頃から一貫して、老若男女問わず、このようなタイプの直向きな人たちが
心の底から大好きなのです。
そして今回も、そのような素敵な個人と個人をお繋ぎして
「きっと直向きなお2人が繋がれば、更に良い相乗効果が生まれることだし、
何なら仕事という体裁は抜きにして、人として良いお友達になって欲しいな。」と
思える人たち同士の仲介が出来たことが、とにかく嬉しかったのです。
「声なき声を大切にして生きていきたい。」
これが若い頃から現在に至るまで、ずっと変わらず持ち続けている
僕のモットーの1つ、いえ、理想的な生き方の1つでもあります。
どんなに素晴らしい生き方をしていたとしても、
声を上げないから目立たない、自ら積極的に目立とうとしないから、
なかなか、その技術や才能、お人柄の良さなど存在自体すら認めてもらえない。
そんな理不尽さやもどかしさは常にあるけれど、
本人たちは淡々と今の生き方を受け入れる努力をし、腐ることなく
今の生き方を大切にし、その良いものをしっかり温め続けておられる・・・。
こんな素晴らしい人たち同士が、仕事にしてもプライベートにしても
似たような良い感性で繋がって、何かしらの共有ができれば、
それこそ、これほど心豊かで心強いことはありません。
幸いにして、僕は仕事においても、プライベートにおいても、
そのような心ある人たちとしか仲良くはなれず、
今の人間関係は、そこがベースで成り立っているため、
それ以外の目立ちたがり屋の心がない厚顔無恥な連中や
何かと騒がしく自己主張しかしない迷惑な声が大きな人というのは、
昔から理屈抜きに苦手というか嫌いで自ら避けてきたように思えます。
一寸先は闇にも光にもなるように、ここ最近、僕自身の身近でも
今まで調子に乗っていた
個人的に「人として嫌だな。絶対仲良くなれないな。」と感じていたタイプの人たちが
一気に色々なトラブルに巻き込まれ、瞬く間に全ての信用を失ってしまったり、
その逆で、ようやく長年の功績だったり、誰にも注目されず、
認められずにいた努力が、良い形や結果として表に出るようになった方も
いらっしゃって、僕自身、どちらの生き方が理想的なのか、
まぁ、言及するまでもなく、振り返る良い機会にもなりました。
このブログでは時々、ご紹介することなのですが、
この「声なき声を大切にして生きていきたい。」という思いは、
マスコミ時代にしても、今の神社神職の仕事にしても、
全く業務自体は変化しているにも関わらず、その姿勢が変わることはありません。
*「ミーハーだけにはなりたくない理由。~声なき声を大切にしたい~」2020年2月17日
*「カズちゃんの幻のスイカ畑。~声なき声を感じられる人であるように~」2019年10月1日
*「声がデカく主張が激しい人か、そうではない人か。」2023年7月6日
*「心あるプロフェッショナル。」2023年9月8日
むしろ、それ以外、何を大切にして日々の生活と向き合いたいのか、
自分自身に問いかけてみたとしても、これ以外の答えしか見つからず、
それこそが僕自身にとっての喜びであったり、
心豊かさを実感するものなのだろうなと再確認できました。
世の中、本当に声が大きく、厚顔無恥でずる賢い人たちが表に出やすいものです。
そして、そんな連中を甘やかす社会構造も、そのこと自体を「仕方ないことだから。」と
事なかれ主義で受け入れている風潮自体も、今も昔も大嫌いです。
ですが、そのような負の側面が大きい連中だけでなく、
目立たないけれど、世間には認知、認識されづらいけれど、
確実に素晴らしく、お人柄も良く、直向きで日々、懸命に生きておられる人たちというのが
分からないだけで、大勢いるのも、これまた事実。
だからこそ、そのような人たちと手を取り合い、
時に助けられ、時に助け合い、お互いにとって良い関係を築いていけたら、
それこそが何よりの心の財産になりますし、
僕はやはり、このような生き方をする人たちと、これからも良いご縁を
積み重ねていけたらいいなと感じています。
そのような意味において、先週の慌ただしい仕事の日々の中で、
自身にとって生きる源となる仕事や、人と人との中継ぎの瞬間に立ち会えたことは
これからもずっと忘れることなく、僕の中で良い財産として残っていくことでしょう。
過去に戻ることも出来ないし、遠い未来や
何かと世知辛く生きづらい今の世の中を嘆き悲しんでばかりもいられません。
自ら求めれば、必ずすぐ近くに心ある素敵な人、
声は自ら積極的にあげないけれど、素晴らしい生き方を積み重ねておられる人は
存在するものです。
あとは、そこに心を向けることが出来るのか、
それとも気づかずにスルーするのか・・・。
改めて、その生き方の根幹を見つめ直す良い時間になりました。
*お知らせ*
*5月3日(土)、7年ぶりの沖縄ナカトリモチ勉強会、参加者募集中。
*5月11日(日)、6年ぶりの東京ナカトリモチ勉強会、参加者募集中。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。