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良い大人が「連れションブス」に落ちぶれないために。
2017年02月15日
今日は朝一番で自営業者の宿命である確定申告に出かけてから
昼前に入っていた仕事の依頼先に向かいました。
僕が住んでいる地域はお年寄りが多く住んでいることもあってか
確定申告の一般受付が始まる1週間前くらいから集落ごとに区分けされて
一足早く受付をしてくれるシステムが整っており、
機械オンチで未だにネットでの申告が出来ない僕は地域のオジー、オバーに混ざって
手書きの申請書と、1年分の領収書や諸々の書類を携えて
職員の方に最終的な計算や書類作成をお願いして、その申告を済ませるのが恒例となっています。
集落ごとの受付で人数も膨大な数ではないということ、
そして基本的にオジー、オバーの割合が高いということで
受付を担当される職員の方も、皆さん本当に優しく丁寧に対応して下さるので
僕も毎年、本当に助かっています。
ただ限られた集落の事前受付とは言え、それなりに人数もいると思うので
昼前の仕事に間に合わせるために、かなり気合いを入れて受付開始の1時間前に会場に到着。
「さすがに今日は一番乗りだろう。」と思っていたら、既に先客が4名ほどいまして。
全てオジー、オバーだったのですが、皆さん普段から朝が早いので
「上には上がいるものだな。」と感心しながら受付番号「5」をゲットしました。
いつも受付番号「10」までが、開始と同時に受け付けてもらえるため
一番乗りには変わりなく、今朝も順調に全ての申告、書類作成、その他の手続きを終えて
かなり早めに終わり、ホッと一安心。
それにしても、この確定申告会場の待合場所というのは、
地域のオジー、オバーが大半なので僕にとっては一種独特の世界で
まるで病院の待合室にいるかのような感覚で、
不謹慎ながらその独特な世界を楽しんでしまっている僕がいました。
待っている間、オジー、オバーの会話のほとんどが
僕たちが住んでいる〇〇という集落の話題、
足腰が悪い、どこそこの誰が亡くなったなどの健康問題の話題、
「どこそこで赤ちゃんが生まれた、どこそこで誰が引っ越してきた、
どこそこの誰が結婚した、離婚した」などのよくある集落ゴシップばかり(笑)。
基本的に皆、好き放題話して相手の話なんか聞いていないので
会話としては成り立っていないはずなのですが、
それでも全体的なコミュニケーションという意味では普通に成り立っているため、
「緩くていいなぁ~。」と、その微笑ましい光景を眺めながら待ち時間を過ごしました。
また受付番号1番~10番まで一斉に呼ばれて、
いざ、それぞれの担当者がいるテーブルに座ると、1人1人の間隔がコンパクトなため、
僕が目の前にいる担当者の方と書類のやり取りをしていると、
両隣に座っていたオジーとオバーが僕の書類(年収欄など)の数字などを
明らかに露骨に長時間、横からガン見しているのが分かって、
(自分の確定申告に集中しなさい・・・と言ってあげたいけど、言えない独特な雰囲気、汗)
「これってプライバシーも個人情報もへったくれもないな。
まぁ、知らないオジー、オバーだからいいさぁ~ねぇ~。」と内心、苦笑いしながら、
一種独特な雰囲気の恒例行事を終えました。
このような限られたコミュニティ、小さな集落の日常を感じることは
僕にとってはほとんどその機会がないため、年に1回程度であれば大歓迎ですが、
常にこの状態だとかなり窮屈に感じるでしょうから、
そのあたりも自分なりの距離感を保つ意識が大切ですね。
閑話休題。
超個人的な見解ですが、それが人間関係にしても、その他のことにしても、
何事も「ほどほど」「入り浸り過ぎない」のが僕にとって
ちょうど良い塩梅なのかな・・・と感じることがよくあります。
まぁ、年に1回の恒例行事となっている集落のオジー、オバーに混ざっての確定申告は
本当に微笑ましい程度の「ほどほどが一番だな。」なのですが、
外に目を向けると、この感覚が麻痺してしまっている痛々しい人なんていくらでも存在するものです。
そのちっぽけなコミュニティに無意識のうちに依存し過ぎていると
知らず知らずのうちに、そのコミュニティだけが全ての拠り所、全ての常識になり、
一般的な良識を失ってしまっている馬鹿なんて、この世には一定数存在しますよ。
こういう人たちほど傍から見ていて痛々しいものはありません。
僕が昔働いていた放送局にも、「業界人」を気取る(無意識ですが)馬鹿が一定数いて
これはこれでやっぱり痛々しい人たちだな・・・と思って、
なるべく必要最小限のコミュニケーションしかとらないようにしていた記憶があります。
今、昔のブログを読んでみると、
局アナ時代のブログでも、チクリとそのことを書いているんですよね(笑)。
*「消去する勇気。」
*「名刺。」
放送局を含めたマスコミ業界って、全ての人とは言いませんが、ずっと長くその中にいると
勘違いしやすい環境になるのか、一部の馬鹿はおおいに非常識で良識が欠けた
下品な性格ブスに落ちぶれてしまう傾向にあります。
それは局アナだろうが、タレントだろうが、裏方スタッフであろうが、
その非常識な環境の中で、1人の人としての良識を保つことが出来る人と
(こちらは少数だと思います)
その環境に慣れてしまって、おおいに勘違いをしてしまう馬鹿野郎と
(こちらは比較的多いような気がします。あくまで個人的な経験ですが。)
そのどちらかに分かれてしまうことが多く、
これまた腹立たしいことに、そういう勘違い野郎どものほうが出世しやすい
いびつな組織構造が成り立ってしまうことも多々あります。
まぁ、それはマスコミ業界に限ったことではなく、
どのような業界であれ、どのようなコミュニティであれ、
そちらのほうがスタンダードなのかも知れません。
でも、僕がいつも思うのは、こういう勘違い野郎の馬鹿って、
その人の肩書や地位、職業は所詮、その組織、業界でしか通用しないものであり、
一歩外へ出てしまえば、ただの1人の人であって、
もしそういう勘違い野郎たちから、それらの全てを取っ払ったとしたら、
きっと何も残らないどころか、一気に人は離れていくだろうな・・・ということ。
まぁ、これも当たり前のことなのですが、
それだけ1つの業界に入り浸り過ぎるというのは危険なことであり、
そのあたりのバランス感覚を保っている人たちは、
無意識のうちにでも、外との繋がりや全く違う生き方をしている友人たちとの交流を
大切にしているような気がしてなりません。
スピリチュアル業界に関しても然りで、僕はこの業界の金魚の糞が大嫌いで
必ず「コラボ」や「シェア会」などという陳腐な互いのクライアントの奪い合い、
共有していかに金を引き出させるのかの嫌らしい関係性が気持ち悪くて仕方ありません。
また心酔するメンターや師匠の有難いお言葉をリピートしたり、
恥ずかしげもなくそれを公にするバッタモン、金太郎飴、フェイク人間も
この業界には多くて、それを「恥ずかしいこと」という認識が持てない時点で
非常識と言いますか、完全に外の世界の常識を知らない状態のため
「あぁ、この業界に無意識に入り浸って
それ以上の発展が見込めない停滞した人生を送るタイプの馬鹿だな。」と
遠巻きにその痛々しい姿を眺めるしか他ありません。
*「コラボ、アメブロ、ドタキャン。~直観系キラキラブス定番の3大失敗~」
*「きな臭いアメブロ商法。~詐欺、スピリチュアル、ネットワークビジネスなど~」
ここまで酷くなくても、何故、同じ業界同士で気持ち悪いほどつるみたがるのか。
小学生の連れションじゃあるまいし、
曲がりなりにも自立した1人の大人であるのであれば、
そうやって1つの業界、1つのコミュニティ、1つの関係性だけに入り浸ってつるんでいるようでいては
それなりに満足出来たとしても、それ以上の発展は絶対に見込めないと思います。
集団で何か協力をして1つのことを作り上げる、1つのプロジェクトを立ち上げる、
何かの目的のために同じ方向に進むということを否定しているのではありません。
ただ、どこの業界にしても、良い年をした大人なのに、
あまりにも無自覚、無意識の連れションブスが多くて
「もっと他人やその他のこととの距離感、自立した価値観で生きていけないものかねぇ。」と
そういう姿が恥ずかしいという意識を持って欲しいものだと切に感じます。
あっ、今思い出しましたが、ここにも書いていました、
連れションブスが集まる典型的な事例を。
*「いびつなグループ、人付き合いなんて本当に下らない。」
要するに、1人の人として他の人と健全なコミュニケーションを取るということは、
その人に会う頻度とか、内容などではなく、お互いがいかに依存せずに、
対等な立場で適度な距離感を保ちながら交流を深めていけるのかによって、
その後の明暗が分かれてくるものだと思うのです。
全てとは言いませんが、僕が上っ面のキラキラ人間関係だけをアピールしたり、
そこに重きを置いて生きている人たちの多くが、根本的に幸せそうに感じないのは
つまりはそういう部分を履き違えているからであり、
だからこそ意識して、人としての節度、距離感を保つ努力が大切だということは
絶対に忘れてはいけないと思います。
そして1つのちっぽけな枠に無意識のうちに胡坐をかいて依存してしまうと、
まるでゾンビのようになってしまい、そこから先の一人の人としての発展は
あまり見込めないということ。
そのような意味で、人やある特定のコミュニティとの付き合いは適度な距離感、
自分なりの塩梅を知っておく必要があると思うのです。
こういう発言が多いため、僕はいつも孤立して一匹狼のように見られることがあるのですが、
そうではなく、年齢、職業、生活環境関係なく、
1人の人として対等にお付き合いできる友人、知人が各地にいてくれるため、
これも僕にとっては本当に良い塩梅です。
ここ最近、どの業界でも良い年こいた大人が連れションブスに落ちぶれている姿を見ると、
「その程度の陳腐な交流、付き合いは長くも深くもならないものだよ。」と
老婆心ながら思うところもあるのですが、こればかりは本人の生きるセンスの部分ですから
他人があ~だ、こ~だ言ったところで変わる部分ではなく放っておくしか方法はありません。
あなたが身を置く業界、生活環境、コミュニティの常識は
外の世界に人にとっての非常識であることなんて、よくあることなのかも知れません。
だからこそ、1つの業界、1つのコミュニティ、1つの人間関係、1つの地域、
1つの場所、1つの何かに無意識のうちに依存しない普段からの努力と行動が
大切なのだと思います。
連れションブス。やっぱり僕は絶対に無理な生き方だなぁ。
Posted by 山野本竜規 at 21:12
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