山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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人はそれでも生きていく。~自粛ムードを強要するのは間違いです~

2019年11月01日

人はそれでも生きていく。~自粛ムードを強要するのは間違いです~ 人はそれでも生きていく。~自粛ムードを強要するのは間違いです~

冒頭の写真は今日仕事で外出中の昼休みに休憩がてら立ち寄った公園。
日差しは少し強かったのですが、秋らしい爽やかな風が吹いており木陰に入ると、
気を抜けば居眠りしそうになるほど居心地が良かったです。

このエリアは僕が会社員時代に生活していた場所で、
休みの日には子供や親子連れの楽しい声が響き渡る公園でもありますが、
それと同時に第二次世界大戦中は、唯一の地上戦が行われた沖縄の中でも
かなりの激戦地で、この公園一帯で多くの方が亡くなったエリアでもあります。

近くを歩くとびっしり建てられた建物と建物の間にひっそりと残された小高い森があり、
その森と住宅街を分けるコンクリートで固められたその側面には
閉鎖されている防空壕入り口があり、入り口と思われる場所は、
今でもはっきりと分かる位の火炎放射器で焦げた跡があります。

歴史的にも多くの方が亡くなった場所ではありますが、
僕は会社員時代に暮らしていた当時も、別の場所で暮らしている今でも
この場所が心地良くて大好きです。

悲しい歴史が残る場所であったとしても、時間が経ってやがて時代が変われば、
それなりに穏やかと思える地域に変わるものですし、
そこを必要以上に気にすることが、いかに無駄なことなのか・・・。

ちなみにこのエリア、やはり一部の中途半端なユタたちが、
「この場所はかつて激戦地で多くの米兵、日本兵、民間人が亡くなった場所だから、
とても悲しい想いが伝わってくる。このエリアで暮らすのは、あんたにとって良くないから
他の場所に引っ越しなさい。」と言わなくてもいい余計なことを言って相談者を脅し、
一部の心配性な人たちは、その言葉を信じて、わざわざこの素敵で居心地の良いエリアから
高い引っ越し費用をかけて出ていく・・・という話を、今でもよく聞きます。

というより、沖縄本島で暮らす人たちも、その他の日本各地で暮らす人たちも、
そんなことをいちいち気にしていたら、一体、どれだけ多くの先人たちが
戦争に巻き込まれ亡くなったり、その他の理由で野垂れ死にしているのか
気にし始めたらキリがないほど、どこにも住めなくなってしまうものですよ。

それでも気になる・・・というより、全ての生活、人生がうまくいかない理由を
土地や家に責任転嫁して、「自分は悪くない。」と思いたい他力本願な人であれば、
経済的な余裕があれば、いくらでも納得するまで引っ越しを繰り返していいと思うのですが、
おおよその人たちは、ある程度の妥協点を見つけて、
または云も言わさず、生まれ育った家で暮らさなければいけないものでもあります。

過去の歴史に拘り、過去に想いを引きずられているからこそ、
今ある現実を自然に受け入れる覚悟がなかったり、
自分の人生がうまくいかない理由を他の何かに責任転嫁して逃げ続けている訳で、
今与えられている環境の中で創意工夫をして生きていく大切さを理解していれば、
「土地のせい」「家のせい」「住環境のせい」「幽霊のせい」「他の誰かのせい」と
アホな理由づけをして逃げるような痛々しい生き方にはならないはずなのです。

お金がなければ、どんなに嫌であったとしても、
好みの家や場所を選んでいる余裕なんてなくて、その日1日を生きていくことで精一杯です。
幽霊のせいにも、土地のせいにも、家のせいにも、他の誰かのせいにする余裕もなく、
ただ与えられた仕事と与えられた1日を、自分なりに懸命に生きて積み重ねていくのみ。

大学時代、僕は新聞配達をしながら学校に通う新聞奨学生という制度を利用していましたが、
家庭の事情で経済的に進学が難しい、
だけどそれでも進学して勉強したいと願う学生にとってみれば夢のような制度でした。

当時、入学費を含めた大学4年間の授業料などが合計で450万円ほどかかり、
東京で4年間生活するためには約1千万円ほどが必要でした。
この金額は25年経った今でもあまり変わりないと思いますが、
高校を卒業したての若者が、家からの仕送りや支援なしで、
これだけの金額を稼ぎ、勉強をし単位を取って無事に大学を卒業するとなると、
経済的には絶対に難しいと思うのです。

ところが新聞奨学生制度は、労働環境など色々な問題、課題があるにせよ、
そのような意味で救世主のような存在で
とりあえず辞めずに4年間働き続けば、授業料も全て払ってくれて、
寮生活なので家賃もなし、食費は給料から引かれるけれど、
毎月手取りで7万円ほどの給料まで出る。

逆に言えば、4年間続かなければ、即、借金を抱えることになるので、
まさに背に腹は代えられない状態です。

お金がないから、色々な不平不満があっても文句は言えないし、
今、自分が与えられた環境の中で、やるべきことをやるしかなかったのです。

配達区域は、東京下町の谷中というエリアで、今では風情があって良いと感じますが、
当時若かった僕にとってはほとんど墓地やお寺しかないつまらないエリアでもあり、
この墓地の中を深夜2時半から毎日、毎日、バイクで疾走しながら新聞配達をする訳です。

誰だって墓地の新聞配達は薄気味悪くて嫌なものですが、
業務命令なので、会社の人が「あなたはこの区域を配達して下さい。」と言えば、
絶対にノーとは言えませんから、素直に従って4年間、墓地の配達担当となりました。

4年間の新聞配達のうち1度だけお盆の期間中に、
この墓地エリアで肝を冷やすような出来事がありましたが、
それ以外は、慣れてくれば普通に配達できるようになります。

いくら嫌であったとしても、いくら理不尽であったとしても、
学費を稼ぎ働いて無事に大学を卒業するためには背に腹は代えられないし、
いちいち文句なんて言っている余裕なんて全くなかった遠い記憶がありますが、
こういう経験があるからこそ、人生は、どんなに大変なことが起こったとしても、
その人の気持ち次第で、いかようにでもなる・・・という大切なことを学ぶことが出来ました。

今の世の中、やりたくないことからは逃げてもいい、
やりたいことだけをやっていれば全ての人生は上手くいく、
自分の子宮やおちんちん、心の声だけに素直に従って生きていけば幸せになれるなど、
本当に荒唐無稽でアホらしい子宮系、心屋系、それを都合よくアレンジした
その他の陳腐な似非スピ系の思想にあっという間に感化される馬鹿が多くいますが、
こういう人たちにこそ、背に腹は代えられない、過去は変えられない、
だからこそ今、与えられている環境の中で自分なりに穏やかに生きていけるように
創意工夫する聡明さが圧倒的に足りないと感じています。

そして馬鹿には馬鹿の理論があり似たような現実逃避型の連中と集団化するため、
どこまでいっても平行線で分かり合えることはありませんから、
そういう連中に日々、丁寧に淡々と生きていく大切さを伝えるつもりは毛頭ありません。

全て人生がうまくいかないのは、土地のせい、家のせい、家族のせい、他人のせい、
幽霊のせい、我慢を強いられている人生を歩んでいるせい・・・と、
他の何かに責任転嫁ばかりして、今の生活から逃げ続けているような連中には
到底理解できない内容ですが、伝わる人にはその本質が伝わるものです。

何故なら自ら逃げずに、自分の人生と向き合っているから。

理不尽なことがあったとしても、うまくいかないことが続いたとしても、
他の何かの責任にしたい気持ちになったとしても、
それでも最後は理性を使って全て自分が引き受けて自分なりに妥協点を見つけて
今与えられている環境の中で何が出来るのか、
それを静かに淡々と積み重ねていけるような人たちが、僕は理屈抜きに大好きです。

こういう人たちって、基本的に卑怯で不細工な言い訳をしませんから。

どんな出来事が起こった1日であったとしても、
それでも人は与えられた環境の中でやるべきことをやり続け、
普通に生き続けていかなければなりません。

閑話休題。

そうそう、このタイミングであまり言及はしたくないのですが、
沖縄は今、県民にとって大切なシンボル、心の支えを失って多くの人たちが
残念な気持ちを抱えていると思います。

僕にとっても思い入れのある場所でもあり、やはり残念な気持ちでもあるのですが、
だからと言って、必要以上に
「悲しい悲しい」「残念」とマスコミがこぞって煽るのはいかがなものでしょうか。

僕の家の隣に住む80代のおばぁ(首里出身)は、沖縄の地上戦と今回の2度、
あの首里城の焼失を経験しているのですが、昨日、廊下で他のおばあと井戸端会議をしていて、
2人はそのニュースに心を痛めながらも、
「でもね消えてしまったものは仕方ないし、次は火災に負けない造りにしたらいいさ~ね~。
それに今日はね、新しく出来たパン屋さんの行列に並びに行かないといけないからね、
そっちのほうが私にとっては大切さぁ~。」と穏やかに仰っていたのが印象的でした。

なんだかね、とても健全なんですよ。

いくら県民のシンボルを失ってショックだったとしても、県民には県民それぞれに与えられた
その日1日のやるべきこと、大切にすべき生活があり、
それを素直に表現できている隣のおばぁが微笑ましくもあり、
そういう姿が健全で素敵に思えたのです。

県民全体が自粛ムード、とにかく神妙で悲しくあるべき・・・という姿ばかりを
無言の圧力で強要しながらマスコミ一同が全国へ発信していますが、
実際、僕の周りの人たちは、今与えられている生活を生きることで精一杯ですし、
そこまで自粛ムードのような悲しい気持ちではありません。
何故なら、今、この瞬間、やらなければいけない仕事や生活が目の前にあるからです。

マスコミが自粛ムード、県民全体が悲しいムードを演出するのはいざ仕方ない部分もあります。
何故なら、一部のヒステリックな精神的に病んでいる人たちが
「みんなが悲しんでいるのに、楽しい話題出すのはおかしいだろ!」と騒ぎ出すから。

これも忖度の1つなのかも知れませんし、特に地元マスコミは
基地問題同様、感情論を優先させた報道をしないと
ネガティブなイメージを持たれてしまい、スポンサーを怒らせることになりかねないし、
一部の過激な人たちの感情を刺激して厄介な問題に発展するのを危惧して
偏った報道しか出来ない事情があるのも十分承知しています。

ですが、いつまでも感情論を優先させた報道の在り方はおかしいと
外部から声が上がってくることでしょうから、タイミングを見ながら、
一部の感情的な人たちの様子を伺いながら、原因究明の部分について
触れていく計画を立てていると思います。

これから色々な原因究明が行われていくと思いますが、
沖縄のシンボル、みんなの象徴、沖縄の心、沖縄の財産を失ったと感情的に煽る割には、
日頃の警備が杜撰で、大切、大切と言っている木造建築なのに
防火設備も乏しいお粗末なものだったという明らかな失態、
当たり前に問題視すべき直球の意見は、地元マスコミには出ておりませんし、
個人でも、なかなか言い出せない雰囲気があるのは事実です。

でも現実問題として、そういう明らかに杜撰な対応や意識、欠点があることを認めなければ、
前に進むことは決して出来ないものです。

「土地が悪い」「幽霊が悪い」「あいつが悪い」「何かが悪い」と
責任転嫁ばかりして現実を直視しないのと同じように、
今、目の前でやらなければいけないことは何なのか、感情ではなく理性で判断できる
聡明さが求められていると思いますし、
こういうイレギュラーな時にこそ、その人がどちら側になるのか、
その真価が問われているものです。

沖縄のシンボル復興に対する願いは県民であれば誰もが願うものであり、
僕自身も同じ気持ちではありますが、だからと言って
必要以上に自粛ムード、神妙で悲しいモードに同調し過ぎる必要はないと思います。

どんな出来事があったとしても、人はそれでも生きていく・・・。

この姿勢を僕自身、これからも大切にしながら
自分自身に与えられた環境の中でやるべきことをやり、楽しみを見出して
1日1日を積み重ねていけたら理想的だな・・・と改めて実感した1日でした。





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Posted by 山野本竜規 at 20:06 │心の在り方 (2,645)▼日常