故人との会話、通訳はお断りです。

山野本竜規

2014年03月18日 08:25

昨日で全ての福岡出張の仕事を終えて
これから空港に向かい、慣れ親しんだ沖縄へ戻ります。

このように県内外でナカトリモチの活動をさせてもらっていると
毎回、毎回、僕自身、とても考えさせられるというか
常に居住まいを正して仕事と向き合っていきたいな・・・と
思わずにはいられない学びが多くて勉強になります。


特に霊視個人セッションでは、様々な問題を抱えた方がお越しになります。

どうしても「カウンセリング」というと、
「人生のお悩み相談」というイメージを持ってお越しになる方も多くて
「そうじゃないんだけどな。」という、もどかしい想いを抱えながらも
辛抱強く、限られた時間内で出来る限り、
霊的世界から伝えられるメッセージを忠実にお届けする繰り返しです。

あとは、本人がそのメッセージの真意を真剣に受け取ろうが、
都合よく逃げて流してしまおうが、そこまで僕自身が介入することは出来ませんので、
このブログでは何度も何度も何度もお伝えしている通り、
その後の人生は、全て本人の行動力次第・・・というスタンスでナカトリモチの活動を続けています。

長年、ナカトリモチ、霊的世界の通訳として
カウンセリング業に携わってきた中で僕自身が学ばせてもらった1つに、
「いくら霊的世界の真の愛情、メッセージをお伝えしたところで、
届かない人には、絶対にその真意は、いつまで経っても届かない。」というものがあります。

また、その逆も然りで、
1回のメッセージから、全てを理解し、その後の人生の励みに変えて
ご自身の力で生きていける人たちもいらっしゃいます。

中にはカウンセリングにお越しになる方で、
普通の生活を送っていては、想像もつかないような
複雑で強烈な体験をされている人生背景をお持ちの方もいらっしゃって
そういう時は、とてもデリケートな問題も含まれているため、
僕自身もどこまでをお伝えすべきか、その判断を瞬時に求められる連続で手に汗握ることもあります。

基本的に、僕は、霊視個人セッションの中で
故人、もとい亡くなった身内、友人、知人のメッセージをお伝えすることは
僕の中でのNG、禁止項目にしたいと常々思っているほど苦い経験が沢山あります。

ですから、現在では基本的に故人のメッセージをお伝えすること、
亡くなった人の魂に自らコンタクトを取り、その通訳を相談者にすることは
滅多に、というより、ほとんど行なわなくなりました。

この世を生きている人間として、親しい間柄の誰かが亡くなる、
つまりは死別するということは、どんな人でも平等に辛く悲しく大変な出来事であり、
誰でも平等に、その人のことを思いながら、それでも前を向いて生きていくしかありません。

僕は故人の通訳、亡くなった人たちと一方的に通信して会話をすることは
この世をラクして生きたいというズル以外の、何ものでもないという信念があります。

それが親しかった身内や友人や知り合いなら尚更、
誰もが故人を失った悲しみから一刻も早く解放されたい、亡くなったあとの気持ちを知りたい、
出来ることなら、もう一度会話したい、会いたい・・・と願うものです。

でも、この世を生きている人間のルールとして、
基本的に、この世を生きる人間は人間の世界が、
あの世に旅立った魂は、あの世の魂の世界がある訳で
そこは絶対に超えられない、超えてはいけないボーダーラインのようなものが存在することを
先ずは理解しておかなければなりません。

そこを、ただ会いたいから、ただ会話をしたいから、
ただ亡くなった原因が知りたいから、ただ故人の本当の気持ちを知りたいから・・・という
こちら側の一方的な理由だけで、気軽に、簡単に、
まるで即席ラーメンの出来上がりのような便利さで霊的世界と通信できる人間にお願いするなんて、
これほど傲慢で、浅はかで、心の弱さを露呈し過ぎた依存はないとさえ思うほど
残念な結果になる人たちを、嫌と言うほど見てきた経緯があります。

だから、僕のカウンセリングでは、例外を除き、故人のメッセージはどんな理由であれ、
どんなに尋ねられても、お断りするのが基本ですし、
そういう質問をしてくる自体、僕自身がとても嫌な気持ちになります。

もし、どんな状態でもいいので、故人と会話したい・・・と彷徨う人がいるのなら、
どうぞお好きなようにに、その真意も理由も分からない
中途半端に見える、聞こえる、感じる、信念のない霊能者やユタやカミンチュなどに
その通訳をお願いしてください・・・と、お伝えすることでしょう。

中にはとても気軽に「あっ、そういえば、亡くなった友人がいたな。」と
思い出したかのようにそれらを尋ねてくる人もいますが、
気軽に故人のことを尋ねる・・・というのは、故人となった相手にとっても
とても失礼なことだと思います。

だから、このように何度も、何度も、何度も、
霊視では、故人のメッセージはお伝えしません・・・と
ありとあらゆる表現を用いてご紹介し続けているのですが、
それでも、そういった人が後を絶たず、その点に関しては、とても残念だと感じています。

そんなに亡くなった人と会いたいと感じますでしょうか。
そんなに亡くなった人の気持ちが知りたいと悶々とするのでしょうか。
そんなに亡くなった人の現状が知りたいのでしょうか。

「だったら、生きている間に、それらをやれば良いだけのこと。」

これが僕の答えの全てです。

「生きている間に出来なかったから、力になれなかったから、
知りたいんです。聞きたいんです。」という声が聞こえてきそうですが、
申し訳ありませんが、それらは全て完全にその人の甘さ、無意識の甘え、
コミュニケーション不足です。

「目の前にいるこの人は、明日も変わらず私の目の前にいて
普通に会話して、普通に時間が過ぎていくものだ」という幻想を何の疑いもなく信じ続け、
そのことに甘えて伝えるべきこと、向き合うべきことをしなかっただけの後悔なので、
これは厳しいようですが、本人の責任でもあります。

その結果、残念な死別という形になろうが、悔いが残ろうが、
もう、後戻りは出来ませんし、それらを変えることが出来ません。

むしろ、そのような痛い経験をされたのであれば、
生きている間に、もう二度と、同じようなことを繰り返さないように
目の前で向き合う人たちと、真剣に向き合う努力をするチャンス、
気付くチャンスに変えて、悔いのように生きるように努めていくのが
本来あるべき姿なのではないでしょうか。

何度も、何度も何度でもお伝えするように、
僕自身、そういった残念なケースを多々目の当たりにした色々な経験から、
どんなに求められたとしても、お願いされたとしても、
特例を除いて、故人との通信、メッセージは
絶対に、絶対に、絶対に、お伝えしないスタンスだということをご理解下さい。

何故、ここまで強くお伝えしているのかと言いますと、
それでも、「私は、その中の特例にあたる。」と勘違いなさって
故人のメッセージを求めてくる人たちが後を絶たないからです。

所謂、何を示しているのかと言えば、
このブログのメッセージの真意が伝わっていない人たちが
やっぱり、相当数いらっしゃるということです。

まぁ、毎回、必ずこの手の残念さは、
この活動を続けていれば経験しなければいけないものの1つなので
割り切って流すようにはしていますが、
それでも、やっぱり、残念なことには変わりありません。

閑話休題。

さて、僕が年間を通して、霊視個人セッションで、
どのくらいの方と向き合っているのか数えたことがないので分かりませんが、
そんな特例中の特例が、年に1~2回存在します。

そして、先日のカウンセリングで初めてお会いする方が、その特例中の特例に当たり、
故人のメッセージをお伝えするケースがありました。

本当はこれをご紹介すると、また勘違いされて
「私は特例にあたるから。」とカウンセリングで
そのことを尋ねてこられる方が増えることにもなるので
お伝えするかどうか迷いましたが、
自分自身の気持ちの確認のために、今回の特例のケースを記しておきたいと思います。

その方は、僕のブログを検索キーワードなどで検索されて辿り着き、
そこから日々の内容のことをご覧下さっていた方なので
勿論、僕の色々なスタンスのこともご存知でした。

その方の霊視が始まって、「実は亡くなった子供のことで。」と切り出された時、
勿論、僕は確認のために、「ブログの内容はご覧になりましたか。
亡くなった故人との通信は現在行なっておりませんので。」と前置きをした上で
お話を始めたのですが、
相談者ご本人の表情や想いがとても真剣で
「あぁ、いつもの故人と通信したい・・・と依存でこられるタイプの人とは違うな。」と
直感的に理解できたので、そのままお話を聞かせてもらうことにしました。

この「直感的に」という部分は、僕がこれまで故人の通訳をさせてもらって感じた
残念な経験、失敗から学んで裏打ちされた判断そのものなので、
ほぼ、確実に、その判断は間違っていません。
残念な経験や失敗の数々、積み重ねも、このような形で活かされる利点があるのですね。

その方は、ある日突然、一人っ子のお子さんを不慮の事故で亡くされ、
それだけでも大変なのに、一緒にいたお子さんの友達も
事故に巻き込まれたその子を助けようと一緒に亡くなってしまったという
ショッキングな出来事を経験されていました。

ただでさえ、大切に育ててきたお子さんが突然亡くなって
本当に辛い経験をされたにも関わらず、
一緒に亡くなった友達の親も人間なので、どうしてもそれが納得いかず、心の弱さから、
「あんたの子供が悪い!」と責められてしまい、
何度謝っても許してもらえず、おのずと距離が出来てしまった・・・という関係。

子供を亡くした悲しみに加え、相手の子供と親にも
申し訳ない気持ちで生きていなかければいけない辛さを抱え
そんなどうしようもない状態の時に、更に追い討ちをかけるように、
相手側の親が、ある霊能者のところに相談にいってとんでもないことを言い放ってきたそうです。

「あの子達は、亡くなるとき、まだ生きたい、生きたいと
苦しみながら死んでいった。今でも生きたがっている。残念がっている。
だからもっともっと供養が必要。」とのこと。

そんなことを聞かされたら、益々、子供が心配になるでしょうし、
相手のことが許せなくなってしまうでしょうし、
正常な精神状態ではなくなってしまうのは当然のこと。

相手の親が相談にいった霊能者がどんな輩なのかは知りませんが、
最低中の最低のバカヤロウであることには変わりありません。

僕自身、冷静にその話を聞きながらも、
やはり同じ「霊能者」と名乗る人たちの程度の低さ、
あまりにもいい加減なことを言う輩が多すぎる現状に
沸々とやるせない想いと怒りが込み上げてくるのが分かりましたが、
それは感情的にではなく、やはり、あくまで冷静にそう感じました。

何故なら、たとえどんな理由があったとしても、
そういった最低中の最低のバカヤロウにひっかかる側も、
それらを鵜呑みにして信じ込んでしまう人たちも、
同じような心境、どこかにお互いあまり歓迎できない弱さを抱えた者同士、
惹き合って出会った状態だからです。

つまりは、類は友を呼ぶという霊的世界のルールが、
そのまま適応されるので、やはり、これは
最低中の最低のバカヤロウの霊能者が悪いのは事実ですが、
それにひっかかる側も、同じ程度の悪さがあるということを意味しています。

その事実を、相談者の方にお伝えした上で、
特例中の特例である故人との通信を行ないました。

・・・というよりも、そのお話をされた途端から、その方の傍にお子さんがいらっしゃったので、
あとは、そのタイミングを待つだけだったのです。

ここでは詳細は割愛しますが、故人は、その人たちでしか分からないキーワード、
出来事を次から次に、ポンポンと伝えてきます。

今回の場合は、亡くなった当日に着ていた服のことや、
死後、自分の仏壇に、ある特定のお供え物をし続けていること、
それが恥ずかしくて、もう止めて欲しいと感じて冗談を言いながら伝えていること、
将来、大人になっていたら、こんなことがやりたくて、
今、霊的世界で、それをやっている・・・など、
故人と家族にしか分からない会話ばかりが飛び出してきて
そこで初めて、相談者の方は、
「あっ、見えないし、聞こえないし、感じないけれど、確かに自分の子供だ。」と
感覚的に理解されました。

僕は、世間一般でいう、こういった不思議な体験をさせるために
このような故人の通訳をしている訳ではありません。

ここからが、大切なのです。

「さて、同じくお子さんを亡くされた、相手の親が相談した霊能者の発言、
お子さんたちが、生きたい、生きたい、苦しい、苦しいと
今でも成仏できずに苦しんでおられるとおっしゃっていましたが、
それを鵜呑みにされますか?現にこうやって、僕は第三者なのに
ご家族しか知らない内容を会話としてお伝えしていますよね?
何故でしょう?ここに、お子さんがいらっしゃるからですよ。
今の会話の中で、生きたい、生きたいっておっしゃっていましたか?
苦しい、苦しいとおっしゃっていましたか?」

ここで、ようやく、その誤解というか、見えない呪縛のような苦しみから
解放される瞬間が訪れるのです。

結果的に、その相談者の方のお子さんも、
一緒に亡くなった別のお子さんも、元気に仲良く
生前と全く同じような性格で、楽しく「あの世」を満喫されていました。

そして「もういい加減、何も出来なかった自分が申し訳ない」という
気持ちで生きていくのは止めて、笑顔で生きて欲しい・・・という
お子さんとしては当たり前の想いを伝えて、そのセッションは終了しました。

何度でも言います。

僕は故人の通訳は特例中の特例以外は行ないません。
そして、「私は特例中の特例だ」と勘違いして
お越しになる方があまりにも多すぎます。

ですが、稀に、本当に100人いたら1人の割合で
このように特例中の特例の霊視を行なうことがあり、
それを行なうのは、必ず特別な理由があります。

ですが、基本は、自殺以外、どんな亡くなり方をした人であれ、
(自殺の遺族の方のご相談も多いのですが、その通訳もお断りしています)
結果的に、霊的世界では苦しむようなことはなく、
生前と同じような趣味、考え方、性格、生き方をして
普通に生きているのです。

肉体はありませんし、感じようにも感じられませんし、
姿は分かりませんし、声も聞けません。

この世では、これが当たり前。

でも、想えばすぐに、その気持ちは故人に届いています。
問いかければすぐに、ダイレクトに、その想いが故人に届いています。

いつでも、どこでも、いつまでも・・・です。

それが分かれば、必要以上に、この世を生きている間、
故人との会話を求めて、怪しい霊能者巡りをすることは
なくなるのではないかな・・・と思います。

亡くなった人たちの成仏を心から願うのであれば、
必要以上の涙を止めて、迷いを止めて、
なるべく笑顔で楽しく、与えられた寿命の限り、
懸命に生きていく姿を見せることしか、僕たち遺された側の人間には出来ません。

むしろ、それをやることこそが、
亡くなった人たちに対する本当の供養であり、
魂の浄化のお手伝いでもある・・・という事実も、
このブログで、何度も何度も何度も何度もお伝えしてきました。

所謂、それだけなのです。

そして、これからも、故人の通訳は特例中の特例でない限り、
絶対に行なうことはありません。

「私は、その特例中の特例だ」と勘違いされてお越しになった場合や、
気軽に亡くなった人たちのことを尋ねてくる場合は、
その場でお帰り頂くか、そうでなかったとしても
僕自身、とても残念な思いで、それらの要求をお断りしていることを
今一度、ご理解頂きたいのです。

この世に遺された人たちが、
あの世の魂たちに出来ることは、
与えられた寿命の限り、精一杯生き抜く姿を見せること「のみ」。

たった、それだけですが、
たった、それだけが全てなのです。

もうそろそろ、この真実を心から理解して下さる人たちが
増えてくれることを、心の底から願ってやみません。


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