花って本当に不思議なもので、半年間、うんともすんとも言わず
開花の兆候なんて全く感じさせることもなかったのに、
然るべきタイミングが来たら、勝手に綺麗な花を咲かせるものだから
いつも、その過程を不思議に感じながら、眺めることがあります。
この半年ぶりに開花した我が家の玄関先の花を眺めながら、
ここ最近、「人の成長」について思うことを、思うままに
自身の確認作業のために、このブログに認めておきます。
僕自身、どういう訳か周囲の友人たちが大学で教鞭を取る機会が多く、
色々な現場の話を伝え聞くことも多くて、
「大学は大学で本当に今、改革を求められている過渡期なのだな。」と
あれこれ思うことがありまして。
義務教育ではないので、学生たちの熱意があるなしに関わらず、
それなりの授業料を払って単位を取得しながら専門知識を学び、
今後、社会人として世に出ていくためのモラトリアム期間という側面が
大学にはあると思います。
友人たちの話を聞くと、50~60人ほどの授業を担当していると、
中には出席を取って、数分もしないうちに、何も言わずに教室を出て行って
そのままいなくなるような学生もいるようで、
普通であれば、このような舐め腐った態度を取る学生に単位をあげる訳にはいかないのは
社会の常識でもあると思うのですが・・・。
どうやらその大学では、このような不真面目なバカ学生を野放しにしている教授たちも多くいて、
要するに「見て見ぬふりをして単位を上げている」ということが常態化しているとのこと。
今はどこの大学も教授や非常勤などの講師陣が学生の評価をするだけでなく、
まだ経験も知識も足りない若い学生が、
教授や講師陣を評価するシステムが採用されていることもあり、
学生たちに極力嫌われないように評価を気にして、横暴な態度でも許してしまう
情けない教授陣たちが一定数存在する、いびつな構造がまかり通っているそうです。
まぁ、全てではありませんが、昔から大学の教授陣というのは、
一般社会での社会人経験がない専門家が多いため、
一般的な常識が通用しない、いびつで変わり者が多い業界というのは
周知の事実なのですが、それに加えて、若者自体が減って
どこの大学も経営難の中、いかに学生に入学してもらえるのかだけを考える
大学組織も増えてきたのも、このいびつな構造をより強固なものにしている原因の1つなのでしょう。
だからずっとその北朝鮮みたいな閉塞感のある組織の中でしか
生きていない教授陣にとってみれば、自身の専門知識を伝えるのみで
人間教育という部分には興味関心がない連中も一部いるのは事実です。
一番大変なのは、大学側が、そんないびつな構造を何とか変えたいと願い
外部から社会経験のある講師陣を招き入れた際に、
あまりにも社会通念と、北朝鮮みたいないびつな組織内でしか通用しない
非常識の常識の乖離に苦労する外部の見識を持つ側の人たちです。
僕はあくまで部外者なので、あくまで個人的に感じることしか言えないのですが、
「授業が始まって出席の点呼を取って、すぐに退出するような
大人や学校を舐め腐ったような、やる気のない学生なら一切、単位を出さず落とすぞ。」
としか思えないくらい、無礼で失礼な行為だと感じています。
何よりも、同じ授業で真剣に真面目に取り組んで、
少しでも知識を吸収しようと頑張っている熱意のある学生たちに対して失礼であり、
全然、フェアではないので、この真剣な学生たちの学習意欲や熱意を
しっかり守るためにも、毅然とした態度で、学習意欲のないバカな学生は
授業に参加する資格もないし、単位も出さないという姿勢を示すと思います。
まぁ、僕は、あくまで部外者なので、単純にそう思うだけなのですが、
これが組織に所属する人間であれば、色々なしがらみがあるため、
そう簡単にいかない事情があるのも、ある程度は理解できます。
ですが、一生懸命な学生にとって何が一番、理不尽なのかと言えば、
その教室で一番、学生を引っ張っていかなければいけない教授や講師陣が
「いざという時、都合の悪いことは見て見ぬふりをする卑怯な大人なんだ。」と
残念に思ってしまうことではないかな・・・ということに尽きるのです。
真面目に一生懸命授業を受けている学生がいる一方、
出席の点呼さえ取れば、あとは何も言わず舐めた態度でさっさと
教室を退出するような社会を舐め腐ったような浅薄なバカ学生もいる。
そんな時、権威があるであろう大人の教授や講師陣が、
ダメなものをダメとも言わず、自分の評価を気にして見て見ぬふりをして
そのまま悪いことをしたバカ学生の出席を認めるような事なかれ主義を通してしまうと、
もうその時点で、授業の内容云々の前に、
一人の人間として、「あぁ、この大人は信用ならないな。」と、
どこかで諦めてしまったり、学習意欲のモチベーションも落ちてしまうことって
絶対に大なり小なり、起こっていると思うのです。
そして、そのような真面目で熱心な学生たちは、決して大きな声を上げることをしません。
心の中で残念に思うだけ。または自分の中で「大人の社会ってこの程度のものだ。」と
消化しきれないモヤモヤを何とか妥協点を見つけて割り切ろうとするくらい。
だからこそ、このような状況の時、本当に守らなければいけないのは、
バカな学生ではなく、
懸命に声を上げず、直向きに頑張っている一部の学生たちだと思うのです。
むしろ、その一部の人たちさえしっかり守っていれば、
あとの大半の学生たちは日和見主義でしょうから、
「あぁ、この授業は真面目に受けないと単位取れないのだな。」と
ある程度、真剣に取り組むようになっていく流れになるのが、この世の常。
今、知識も経験も浅い学生側から
教授や講師陣を評価するシステムが普及しているからこそ、
少しの言動でもパワハラなどと言われてしまいそうですが、
それでも上に立つ人間であるのであれば、何がダメで何が良いことなのか、
その環境の中で大切なことは明確に周りに示していかなければいけないと思うのです。
舐めた態度を取るバカな学生がいるのであれば、それ相応の結果をお渡しするだけ。
その逆に真面目に取り組んでいる学生たちがいるのであれば、
その姿勢を含め、しっかりと認めて評価すべきであり、
ある意味、とてもシンプルなことなのに、これすら出来づらい複雑な事情が絡みあうのが
大学といういびつな組織の構造そのものなのでしょう。
少なくとも、まだ社会経験がない学生という立場を加味したとしても、
高い授業料を(親や自分で)払って、自らの意志で義務教育ではない大学の
授業を受けているという状態が、どのような立ち位置であるのかは、
いくら若いからとは言え、少しも理解できないようでは、
まともな大人になれるはずなんてありません。
授業内容云々以前の問題として、
まともな人間が「ダメなものはダメ。良いものは良い。」という
明確な指針を示してあげるか、その姿勢が終始、表に出ているかどうか。
バカな学生には一生理解できず逆恨みされるかもしれませんが、
ほんの一部の熱心でまともな学生たちには、しっかりとその姿勢も想いも
必ず届くものだと思います。
まぁ、これは大学だけでなく、全ての人間関係にも共通することだと思うのです。
人としてダメなものはダメであり、良いものは良い。
その姿勢を仕事にしても、それ以外の場面においても、
その人なりの生き様として示し続けている人なのか、
それとも日和見主義に徹して、卑怯に色々な物ごとから逃げ続ける人なのか。
あくまで超個人的な見解なのですが、
僕は後者の卑怯な人たちが本当に大嫌いで、
プライベートでは絶対に仲良くなれない人種でもあります。
別にいつでもどこでも声を上げて、正義を貫きましょう・・・と言っているのではありません。
声を上げなかったとしても、目に見える何かしらの行動を起こさなかったとしても、
その人なりの信念の通し方、良識ある人としての在り方を通すことは
いかようにでも可能なことであり、
その核がある人なのか、そうではなく卑怯に逃げ続ける人なのかは、
上っ面の言動だけでなく、全ての立ち居振る舞いや雰囲気から滲み出てくるものでもあります。
逆に常に饒舌で口が上手く、調子良く、周りの人たちに
上辺だけ円滑なコミュニケーションを取り繕う厄介な人たちもいますが、
この手の詐欺師のような連中も僕は大嫌いですし、
動物的本能で、このような人とも仲良くは絶対になれないタイプでもあります。
人がどのように生きるのかは、その人次第なのですが、
少なくとも、良識ある人として、どのような姿勢で日々、出会う人たちと対峙し、
どのような心の在り方で接していくのかの積み重ねは、
必ずその人の人生そのものに出てくる部分なのではないかなと思うのです。
自分自身が、より良いと感じる在り方でいられるように、
僕も自分なりの信念の守り方、生き方を少しずつ積み重ねていけたらいいなと感じる
今日この頃です。
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