山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
てぃーだブログ › 山野本竜規の続・ナカトリモチ日記 › 心の在り方 (2,645)▼ › 身勝手な連中は消えないからこそ。
*県内、県外の土地家屋の鑑定、お祓い随時受付中です。                     

身勝手な連中は消えないからこそ。

2024年04月16日

身勝手な連中は消えないからこそ。

写真右側の「ブツ」は、敢えて小さなまま拡大しないでおいたのですが、
数日前、初めて「ヤモリアロマ」というヤモリ対策のための忌避剤(液体)を
手に入れて、早速自宅の出現スポットに置いたところ、
まるで挑戦状かのごとく、ヤモリアロマのすぐ近くにヤールーの置き土産が、笑。

*「ついに入手、ヤモリアロマ!~沖縄生活~の理想と現実~」2024年4月13日

沖縄県民であれば、おおよそヤールーの置き土産が
どんな色形なのかは一瞬で判断できるので、このようなふてぶてしい挑戦状、
真正面から受けて立つほかなく、俄然、どちらが根負けして先に白旗を上げるのか、
その耐久レースを長期戦で挑む心の準備もできました。

ヤモリアロマは即効性はなく、じっくりゆっくり効いていく・・・という説明だったので
こちらも気長に待ちながら、奴らがいなくなってくれることを期待している今日この頃です。


毎日、どんより蒸し暑い日が続く沖縄地方は、
もうほとんど梅雨の予行演習というか、梅雨入りしたんじゃないかと思うほど
とにかく湿度が高くて、蒸し暑い。

いつもの季節が半月くらい前倒しのような感覚で、
せっかく爽やかな季節と惜別する4月の貴重な時間が台無しというか、
早くも強制的に梅雨入り→夏への準備コースに突入しています。

お陰でずっと水不足だったダムの貯水率も今日の時点で61.1%になったので
これで数十年ぶりに断水するかも知れないという沖縄本島の危機は乗り越えましたが、
逆にこれからは大雨や熱中症、湿度の高さによるカビや虫対策などが
一気に現実的なものとなり、これはこれで憂鬱です、汗。

「はぁ。また湿度が低い爽やかな季節とは当分、お別れか。」と
毎年この時期に溜息が出てくるのが僕の中でのお約束。
この憂鬱な感覚が10月半ばまで続きますからね。

だからこそ公私共に適度に県外に脱出して、
物理的にも、精神的にも、気持ちをリフレッシュさせなければいけませんし、
コロナ禍前は、そのように無意識のうちにバランスを取っていたのだなと
コロナの自粛中に気づいた次第です。

来月は東京、大阪と続けて出張が入っていますし、
久しぶりに実施することになる大阪の対面カウンセリングや
土地家屋の鑑定・お祓いのご案内は、明日、ブログで行う予定ですので
関西エリアでカウンセリングやお祓いをお考えの方は
是非、明日のブログでお問合せ、お申込み下さいね。

閑話休題。

冒頭の話題に戻りますが、ヤールーって本当にしぶといし、しつこい、笑。
小動物の場合は、「まぁ、動物だしな。」と、ある程度は割り切ることができるのですが、
これが人間の場合だと本当に厄介だなと感じます。

身勝手な連中は消えないからこそ。

まぁ、ヤールーの迷惑さとは全く別物なのですが、
この呟きは友人がシェアしていたもので、
「真っ当な人の心の嘆きって、基本はこれだよな。」と常々感じています。
本当に、どうにかならないものでしょうかね。

なるべく他人様に迷惑をかけないように真面目に生きている人たちって
骨折り損なことが多く、そのような姿勢、生き方を利用する形で、
身勝手で迷惑ばかりかけまくるようなファっ子ちゃんたちが
自由に気ままに楽しそうに生きている・・・。

それは今の日本の政治にしても、会社勤めで感じる組織の理不尽さにしても、
個人対個人、身内同士の人間関係にしても、全てのことに共通するものです。

会社でも「あの人は真面目で勤勉で人柄も良く、しっかり働く人なのに、
出世する人、上から気に入られる人は裏表がある声がデカいアピール上手の
狡猾な連中で、本当に損をしているよね。」というパターンは、
とにかく今も昔も、何故にこうも上手く回らないのだろうか・・・という
漠然とした疑問と不満、理不尽さと共に内包しなければいけない現実でもあります。

本当にアピール上手、上っ面だけ良い顔をして他人を出し抜く人たちのほうが
どの業界でも目立つし、引き立てられるし、出世しやすいのがこの世の常。

それは仕事だけでなく、プライベートの付き合いや人間関係でも同じで
本来であれば一番、評価されるべき人なのに、
自ら嫌らしいアピールすることはほとんどなく、
ただただ直向きに目の前のことと向き合う場合が多いため、
目立たない、気づかれない、気にも留められないという世の中の不条理さが
僕は子供の頃から不愉快で仕方ありませんでした。

だからこそ僕自身、放送局、神社神職、ナカトリモチと職業こそ変化しても、
声なき声に耳を傾ける、声を上げられない立場の人たちが
どのような想い、生活と向き合っているのかを一番大切にしながら
その時、その時、自分なりに出来る仕事と向き合う日々でもあります。

きっと一生涯、その部分に関して変わることはないでしょう。

世の中が理不尽さや数々の不条理な事象で埋め尽くされていることも、
声なき声が届かない、気づかれない、評価されないことも、
そして、声だけデカくてアピール上手な迷惑な連中が
自由に勝手気ままに生きている現実も、それはそれでこの世の常として
受け止めつつも、やはりダメなことはダメだし、嫌なことは嫌だし、
間違っていることは間違っている・・・と、自分なりの生き方、方法で示していけるように
その気持ちを忘れないようにしたいと常々思っています。

この世の中は不条理さで出来ている。
そして、その中から心を磨いていく経験を積み重ねるのが
様々な価値観、生き方をする人間同士でこの世を生きていく意義の1つでもありますが、
だからと言って、必要悪にもならないダメ人間やファっ子ちゃんを
そのまま受け入れるだなんて、絶対に無理な話です。

ダメなものはダメ、悪いものは悪いし、間違っていることは間違っているのですから。

その逆で、数は少ないかも知れないけれど、
なるべく周りに迷惑がかからないように、ひっそりと直向きに真面目に
日々の生活と向き合っている素敵な人たちも必ずいるのが唯一の救いでもあります。

どちらに感応して生きていくのかは、その人次第だと思うのですが、
僕は後者の人たちと共に、色々なことを共有しながら
人として真っ当に生きていく喜びを見出していきたいなと感じています。

周りにいる迷惑な連中は、思い出すだけでも相当数存在すると思います。

嫌な想いをした時、自分勝手に振舞う迷惑な人と間近で触れ合った時、
そして一生涯、相容れないようなふざけた生き方を積み重ねてきた人間を
見聞きした時、そこで生じる嫌悪感があれば、
その嫌悪感を大切にしながら、「あぁはならないように気を付けよう。」と
居住まいを正して生きていく力に変えていければ理想的ですね。

勿論、そんなにスムースに気持ちの消化、昇華ができるはずもないので、
僕は信頼できる間柄の人たち同士では、
カスのような人間に関しては、ボロクソな罵詈雑言で共有していいと思っていますし、
それこそ健全な人の心の在り方だと思っています。

ダメなものをダメだと素直に共有できる信頼できる人たちが周りに
少しでもいてくれたら、僕はそれだけで十分、心豊かな生き方だろうなと思います。

ふと、沖縄のふてぶてしい虫の出現や湿度が本格化する今の時期、
そのようなことを感じました。




同じカテゴリー(心の在り方 (2,645)▼)の記事
Posted by 山野本竜規 at 20:15 │心の在り方 (2,645)▼