山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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久しぶりに遭遇した身勝手な子宮教信者!?

2024年04月26日

久しぶりに遭遇した身勝手な子宮教信者!? 久しぶりに遭遇した身勝手な子宮教信者!?

冒頭の美味しそうなカレーなどの料理は、昨日のランチで頂いたもの。
昨日は午前、午後と沖縄本島中部エリアでそれぞれ別の
土地家屋のお祓いの仕事があり、午後の仕事まで1時間半ほど余裕があったので
読谷エリアのお店で手作り感満載のセットをオーダーしました。

ランチタイムだったので店内は満席、お店の方もテキパキと働いておられ、
料理の味もお店の雰囲気も、とても良かったです。

店内の客は場所柄、米軍関係者、県外からの移住者、観光客が7割ほどで
本当にたまたまだったのでしょうけれど、僕の隣のテーブルに座っていた
県外からの移住者と思われる関西弁の女性2人組の会話、雰囲気が
まさにレリゴーブスの身勝手な子宮教信者そのものでして。

というより、既に廃れたと思っていた子宮教とその信者って、
まだ、しぶとく存在していたんですね、笑。

そもそも子宮教が一番勢いがあったのが2016年前後の頃で、
身勝手な女性教祖が「子宮の声を聴いて本能に従って動いていけば、
お金も手に入り、人生が全て上手くいく。やりたいことだけをやり、
やりたくないことは一切やらなくていい。」と
育児家事などの放棄や不倫、子供を捨てて自由にやって輝くことが女性の幸せで
周りから愛される・・・などと嘯く荒唐無稽で眉唾物の教義を普及した陳腐な集団です。

驚くことに、この世の中にいる多くの
「ラクして努力もせずに、やりたいことだけやって本能のままで幸せになれるんだ。」という
教義を盾にして、奔放な性生活や借金、育児家事放棄などを正当化する
動物の脳と同等レベル、いやっ、動物のほうが格が上だと思えるほどの馬鹿たちが
一部の主婦層を中心に、当時、子宮委員長を名乗る女性教祖を崇拝し、
スピ界隈で爆発的に広がってしまった経緯があり、
ここまで怠惰な馬鹿が多いことに呆れてしまったほどです。

僕は、こういう身勝手な性格の人たちを総称して年齢性別問わず、
「レリゴーブス」と表現しているのですが、他人の迷惑を考えずに
やりたい放題、好き勝手生きる連中って、もう心底、大嫌いです。

特に性に関して奔放で、結婚しているのに不倫や浮気は当たり前、
次から次へと行きずりの異性と付き合い、妊娠しても、その子供の面倒は見ず、
子供を捨ててしまうなど、それすら「女性が輝くために必要な解放」と
信者たちを更に身勝手な方向へ導く危険なカルトとして当時から注視しておりました。

あれから8年ほど経ち、熱しやすく冷めやすいスピリチュアルジプシーたちは
子宮教にも飽きて、他の怪しいものに鞍替えしている連中がほとんどで、
もうとっくに、子宮教は衰退していると思っていたのです。

ところが昨日、ランチタイムに遭遇したのが、その子宮教の一派。

年の頃、40代と50代で県外から読谷に移住したと思われる女性2人組で、
身なりはお世辞にも綺麗とは言えず、ビリビリに破けたジーンズに
ヨレヨレのTシャツ、島ぞうりというスタイル。

いくら色々なことが緩い沖縄とは言え、少しだけお洒落な雰囲気のお店に
こんな汚らしい格好で入店する時点で「はて!?」なのですが、
一部、勘違いした沖縄移住者に、この手のタイプがいるのも事実です。
「沖縄なら何でも自由でいいし、身なりや世間体なんて気にしない。」というタイプ。

まさに世捨て人というか、きっと本土で社会人生活が上手くいかず、
ドロップアウトして流れ着いた先というか、選んだ先が沖縄だったのでしょう。

沖縄以外の地域では、あまり話題自体にあがらないのですが、
沖縄への移住者の中には、社会不適合者で本土でドロップアウトをして
その逃避先に沖縄を選んで、非常識な連中同士でコミュニティを作り上げ、
そういう人たちが、沖縄本島、離島問わず、郊外などに棲みついて
地域住民に迷惑をかけまくる・・・という構図が出来上がっているのです。

ほとんどヒッピーみたいな身なりや、自分たちの子供たちは
自由と称して、ろくな教育もせず、騒がせたい放題で、
非常識なDQN家族と同等か、それ以上の煙たがられぶりでもあります。

もともと社会人として、真っ当な大人としての常識、生活習慣が身についていないので
このような人たちが、どこに移住したとしても、絶対に上手くいかないのは
分かり切っていることなのですが、
その受け入れ先になりやすいのが、那覇などではなく、沖縄本島の場合だと
中部や北部エリアという相場が決まっているのです。
本当に困った問題です。

さて。

話を読谷の雰囲気の良かったお店に戻しますと、
その店で隣のテーブルにいた女性たちが、「アタシは読谷に呼ばれて移住した。」
「もう我慢する人生なんてまっぴら。ここでは自分を解放して、
やりたい放題(特に不倫など)、自由に生きていく。」
「アタシたちは、ありのまま、本能のままで愛されているし、
しっかり子宮と魂の声を聴いていれば、人生うまくいくから大丈夫。」などと
残念なドロップアウト組移住者にありがちな馬鹿な会話を
大きな声で笑いながら、お互いを励まし合っていたのです。

時代的にルッキズム云々、セクハラと批判されてしまうのかも知れませんが、
その場の雰囲気に見合わない件の女性2人の汚らしい身なり(清潔感がないという意味)、
香ばしい会話内容、生活自体が澱んだ感じなど全て含めて、
自由に恋愛できそうな人ではないというか、よほど汚れ専の癖の殿方ではない限り、
周りから相手にされるような人たちには感じられなかったので、
そのあたりも客観視できていないのでしょうね。

身なりや会話の内容含め、「もっと周りの客に気を遣えよ!」と
かなりイライラしてしまいましたが、そもそも、それが出来る常識的な人たちであれば
既に廃れているであろう陳腐な子宮教になんてハマりませんからね。

非常識な人たちというのは、どこまで行っても非常識な思想、生き方、言動を
周囲に迷惑をかけながら、まき散らし続けるものです。

自由に生きるのも結構、誰かに愛され、輝きたいと妄想するのも結構ですが、
周りに不愉快な想いをさせたり、迷惑かけんなよ・・・と
当たり前の不快感でいっぱいでしたが、
まぁ、お店の料理が美味しかったし、その後、午後のお祓いの仕事があるから
気持ちを切り替えるために、近くのスタバに立ち寄ってリフレッシュをした・・・という次第です。

そもそも子宮教が元になっている身勝手極まりない自由とやらも、誰かに愛されるも、
極度に他人や他の何かに依存してしか成立しない不幸な生き方なのですけれどね。

そこに気づくこともなく、わがままやりたい放題やった結果、
どんどんまともな良識ある人たちは離れ、やがて、周りには同じような
身なりも心も汚らしい連中しかいないという惨状が待っています。

沖縄もカオスな地域があって、
良くも悪くも個性の強い人たちが集まりやすいコミュニティが存在します。

もともと出身地で、その地域で直向きに暮らす沖縄の人たちからすると、
本当に迷惑極まりない話なのですが、
同じ沖縄であったとしても別世界があるのだな・・・と、
サファリパークの中を探検しているような気分になったランチタイムでした。


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Posted by 山野本竜規 at 19:08 │心の在り方 (2,645)▼