山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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新年度、居場所作りの不安さを狙う輩にご注意を。

2024年04月06日

新年度、居場所作りの不安さを狙う輩にご注意を。

2日間、存分に本土の満開のソメイヨシノを満喫して
蒸し暑い沖縄に帰ってきました。

もう梅雨入り前のような湿度の高さが続いており、
乾燥している本土との差に驚きつつ、久しぶりにゆっくり見ることができた
夜桜などの余韻に浸りながら、週末の夜を過ごしています。

しつこいようですが、コロナ禍を挟んで本当に久しぶりの
満開のソメイヨシノだったので、とても嬉しくて
もうそれだけで、しばらくの間は機嫌よく過ごせそうです、笑。

仕事にしても、プライベートにしても、
僕自身が意識して定期的に自分の居場所から離れるライフスタイルは、
気力体力が続く限り、一生、続けていきたい大切な習慣だと感じています。

このブログでいつもお伝えすることなのですが、
人は常に同じ場所、同じコミュニティ、同じ人、組織などに居座り続けると、
それはそれで心地良いのかも知れませんが、
同時に、周りの常識や周りの空気、外のものに触れる機会がなくなり、
マンネリ化するだけでなく、そこで人の成長がストップしてしまう危険性があるという
危機感を持つことが、自立した1人の人間として大切な部分だと思っています。

よく宗教団体やネットワークビジネス、自己啓発団体などでもありがちなのですが、
一度、所属した信者、参加者は、可能な限り囲い込んで飼いならしておきたいが故に、
「ここ以外の組織に所属することで信仰心が薄まる、人としての道から外れる、
せっかくここで学んだ知識や経験が無駄になる」などと、
そこから離れようとしている人たちの罪悪感や背徳感を刺激して
引き留めようとする古典的な手法を今でも用いることがよくあります。

日本だけでなく、海外のスピリチュアル団体でもよくあることなのですが、
「ここで学んだエネルギーワークを途中で離れ、外の世界に出ると、
せっかく経験してきたエネルギーの軸がブレて、人生自体、混乱してしまう危険があるから
こちら(教祖様や団体組織の幹部など)が良しと言うまで離れてはいけない。」と
半ば脅しのように、その組織から離れることを阻止するケースも定番。

教祖様にとっては信者=客が減ることになりますし、
その信者が、外で余計な内情をペラペラ話して都合の悪いことまで
世間に知れ渡りはしないか、冷や冷やしている部分もあるため、
もっともらしいことを言って、半ば洗脳された状態の信者を少しでも長く引き留めて
外の世界に出そうとしない姑息な手段を取るというのが実情です。

というより、そんなの個人の自由ですし、個人の人生の領域まで口出ししている時点で
人道から外れているというか、非常識なモンスターだと思いますよ、普通。

自分の人生は自分で切り開いていくものですし、
最終的にそこに他人が介入する余地なんて微塵もないものです。

新興宗教にしても、スピリチュアル団体にしても、ネットワークビジネスにしても、
その他の怪しい団体にしても、元を辿れば同じ手法なのですが、
このような狭いコミュニティの中では、自然と主従関係が出来上がってしまうため、
ある種の洗脳状態になって、教祖様の言うことは絶対であり、正しいものであり、
ほとんど間違っていないもの・・・という思い込みの元、
カモの親玉と、優秀なカモのシステムの一丁出来上がり。

外から見たら、とてもいびつで滑稽な主従関係、洗脳なのですが、
その中にいる人たちは、それがいびつな関係であることも、洗脳であること自体にも
全く気付けないものなので、そりゃ、親玉にとってみれば、
その狭い中に閉じ込めたくもなりますよね。

でも、外の世界に出ないことには、何が正しくて、何がそうではないのか、
他の誰でもない自分自身で判断する基準を学ぶことは出来ません。

組織や団体の中では通用することでも、一歩外に出た場所、市井の人々の
リアルな反応や意見、常識を知らずに生きていくのは、
まさに裸の王様そのもので、こんな痛々しい姿、恥以外、何物でもありませんよ。

昨日のブログで述べた通り、
プライベートの場で無礼な態度ばかり取って嫌われる日本のおじさんたちのように
自分の狭い範囲でしか生きられない人たちって、
周りでフォローする人たちがいなくなった途端、
孤立して誰からも相手にされることがない惨めな余生を過ごすことが多いものです。

*「慇懃無礼なおじさん、じいさん論。」2024年4月5日

要するに、周りでしっかり気を遣って、
色々な失礼な言動のフォローをしてくれる人たちがいるからこそ、
この手のタイプが、まだ普通に生活できているのであって、
それは自立とは程遠い無意識に誰かに極度に依存した生き方そのものでもあります。

色々な組織に染まり、洗脳されている人たちも、
痛々しい世間知らずの無礼なおじさん連中も、
結局、根本は同じで、外の世界を知らない、または知ろうと努力もせずに
1つの何かに依存し続けてきた結果の成れの果てだということ。

その沼にハマってしまったら、そこから抜け出すのは本当に難しいと思います。
何故なら、その沼こそが、その人の愛すべき人生であり、居場所であり、
依存先なので、そこが沼だとは、同じコミュニティ内の人は誰も教えてくれないから、
益々、自立できない痛々しい大人が量産される訳です。

その世の中の仕組み、システムに自ら気づける人は本当に少数かも知れません。

でも、もし今、あなたが、その居場所、その場所こそが人生の拠り所だと思っていたところに
違和感を覚え始めて、外の世界に目を向ける気持ちが芽生えたのであれば、
たとえ引き留められようが、脅されようが、嫌われようが、
思い切って、外の世界に飛び出していく勇気を持ちましょう。

遣り甲斐だけを搾取するブラック企業にしても然り、
新興宗教やスピリチュアル団体、ネットワークビジネスの組織にしても然り、
個人的な人間関係、グループ付き合いにしても然り。

居場所は1つだけという訳ではなく、複数持つことだって可能です。
いえ、むしろ複数、自分なりの行き先、居場所を意識的に作っておけば
1つの空気に染まることなく、フラットな状態でいられるものですから
可能であれば、1つの何かに依存しない自立心を常に保ち続けることが大切だと感じています。

新年度、新しい環境に飛び込んで、
自分の居場所探しに苦労する人たちも増えてくる時期ですが、
無理に必死に探そうとしなくても、必ず自分に合った空気感の人や場所、コミュニティが
見つかるものですし、何なら居場所探しなんてしなくても、
個人個人で自分なりの人生を積み重ねていければ、それだけで十分心豊かな生き方ですよ。

居場所探しを必死にすること自体、悪いことだとは思いませんが、
それが人の心の中に潜む依存心を掻き立て、
それを巧みに利用しようとしている人物、団体、組織などとマッチングすることも多いため、
この時期は特に要注意でもあります。

実際、4月の新年度は、新興宗教、スピリチュアル団体、ネットワークビジネス、
自己啓発系の組織、団体が、自信がなくて必死に居場所作りをしようとしている
迷える子羊がいないか手ぐすね引いて待っていますよ。

自信がないから居場所を作るのではなく、自信がないからこそ、
自立するために外の世界、違うコミュニティ、色々な価値観に触れて
自分なりにその善悪を判断できる人間に成長させていくのが、
真っ当な人としての在り方だと常々感じています。

新年度が始まったばかりのこの時期、
無理をし過ぎず、自立した素敵な生き方を積み重ねていけるよう、
一歩一歩、進んでいければいいですね。


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Posted by 山野本竜規 at 20:52 │心の在り方 (2,645)▼