若者と年配者との狭間で。

山野本竜規

2024年09月05日 19:04

 

1週間ほど前、ファーマーズマーケットで200円で購入した島バナナ。
これを部屋で吊るして、熟すまで待つ時間が個人的には大好きで、
ずっと目の前にある島バナナを眺めながらニンマリしておりました。

市販されているバナナと違って、程良い酸味、甘さが絶妙なので
毎年、シーズンになると必ず1房は購入して食べるほどの大好物。
というより沖縄の果物全般、どれも大好きなので
うだるような暑さが長く続く夏の間、僕にとって唯一の楽しみと言えるくらいの存在です。

今は夜の時間帯で室温が28°くらい、日射しが強くなる日中だと30°になるので
(24時間エアコンフル稼働でも)
熟すのも早かったのですが、今日、ようやくバナナが食べ頃を迎えまして。


ほんの少し先の小さな喜び、楽しみに過ぎないのですが、
日々、真夏の暑さが続く沖縄の生活では、その目立たない、
誰にも知られることもないような日常のささやかな楽しみ、喜びこそが
僕にとっての心豊かさの1つでもあるのです。


程良く熟した島バナナは甘味と酸味のバランスが絶妙で、
モチモチした食感も加わり、とても美味しかったです。
しばらくの間、ご褒美のオヤツになりそうで、それだけで嬉しくなります。

それと同時に、今、僕の中でモヤモヤしている「時間の経過」、
ジェネレーションギャップがこちら。

今日は、とある企業のお祓いの仕事だったのですが、
仕事が無事に終わって、僕と同年代の上司の依頼主の方と、
少し雑談をしていた時のこと。

偶然耳に入ってきた、そこで働く若い人たちの間で交わされていた
ビジネスメールの宛名の敬称についての会話に2人して驚いてしまったのです。

依頼主の上司の方も苦笑いしながら
「部下への指導、どうしたらいいものでしょうかねぇ。」とお手上げ状態で
アラフィフの僕も、「う~ん」と思わず唸ってしまったほど。

ツイッターでも言語化したのですが、
プライベートではないビジネスメールの宛名の敬称も
「様」という漢字を使うと、相手に対して威圧感を与えてしまうので
あえて「さま」という平仮名を使うことが気遣い・・・というような文化が
20代、30代の比較的若い人(女性に多い)に普及しているのだとか。

仕事において初対面や初めてアプローチする相手に対しては
メールで「様」を使うけれど、二回目以降は相手との距離感をメールで縮めるために
敢えてフランクに感じる「さま」という平仮名の敬称を使い、
それが「出来るビジネスパーソンの気遣い」・・・的な嫌な雰囲気だったのです。

素直に「へぇ~、今の若い人たちの一部はそういう文化なんだ。」と
受け入れられる部分もあるのですが、
どうしても「平仮名の『さま』は、幼稚で失礼な印象を受けるよな。」と
僕が若い時代に培ったビジネスマナーの感覚が抵抗をしていて、
これを40代以上の他の企業や取引先の人たちが目の当たりにした時、
その送り主の企業自体にマイナスイメージがつく恐れもあるのではないか・・・と。

この境界線というか線引きが本当に難しく、
今の40代~50代の上司と呼ばれる立場の人たちも板挟みで大変だろうなと思います。

勿論、若い世代の人たちにも
上司が働かない、口だけで動かない、無意識のうちのハラスメントをしてくるなど
職場内の目上の人たちの負の側面に辟易していると思いますので
そこはどちらにも同情してしまいます。

僕も若い頃、「上司と呼ばれるオジサンたちは、何故働かないのだろう。
何故、口だけ出して実務はこなさないのだろう。給料泥棒じゃん。」と
不満たらたらに思っていた時期もありましたが、
今、その年齢に達してみて1つだけオジサンたちに同情できるのは
40代以降になると1年365日、それなりに元気に動けるという若い頃とは違って
1年のほとんどが、どこかしら身体がだるく、身体が重いという事情があるということ。

勿論、例外もありますが、40代を超えると男女問わず、
途端に思うように体が動かない、頭が働かない、
最低限の仕事やプライベート、人付き合いの気力体力を維持するだけで精一杯という
避けることが出来ない加齢、老いと向き合わざるを得なくなるのが普通です。

だからと言って、一緒に働く若い人たちに迷惑をかけ過ぎるのも老害そのものなので
きっとそのジレンマで苦しんでいるのが40代以上のビジネスパーソンの
宿命なのではないかなと常々感じています。

これは実際に老いてみないと分からないし、
身体が元気で全ての調子が良いという日は1年の中で数日あるかないかという実感は
体感してみないことには絶対に分からないことなので、
これも平等に年功序列なのだろうなと感じています。

だから、僕自身、今は無理に若い人たちの文化に迎合する必要はないと思っています。
理解はしつつも、生まれ育った環境も時代背景も違うのだから、
言葉やビジネスマナーの感覚が違っていても当然。

ただ、仕事上において、どうしても看過できない時は、
素直に「まだまだそれを受け入れられる文化は整っていないから、
なるべく旧式と新式は使い分けたほうがいいよ。」と老婆心ながら
伝えるようにするだろうな・・・と感じています。

少し前に話題になった「マルハラ」も然り。

プライベートのLINEなどで友人同士では
句読点を付けないほうが親密な感じがする・・・という若者文化も理解しつつ、
とは言え、僕自身がそれを実践するかと言えば答えはノーで、
句読点は必ず当たり前のように付けて返事するのは変わりありません。


あと目上の人から叱られたり、改善点を指摘されると、
「器が小さい大人、寛容ではない大人」と若い人から言い訳がましい批判を受ける機会が
ここ10年くらいで増えてきたように思えるのですが、
器の小さな大人なのではなく、ただ相手側が、気に食わないから指摘を受け入れられない
度量の狭い、成長できない精神的に子供な相手なのだな・・・と逆に思うようにしています。

これが加齢という現象ですし、年を重ねるという自然現象のプロセスなのですが、
全てを若者文化に合わせていくというのも、おかしな話です。
そして世代間の色々なギャップがあってこそ当然の世の中であり、
その歴史はずっと繰り返してきています。

どちらも変わらなければいけない部分があり、変えなくていい部分がある。

僕は今の時代に生きながら、自身が培ってきた人生の土台を大切にしつつ、
時間の変化、人生の変化と共に生きていければいいなと感じています。

沖縄もここ最近、朝晩は涼しく感じる時間帯が出てきました。
まだまだ厳しい夏が続きそうですが、季節は少しずつ移り変わっています。
無理せず、自然の流れの中で、その変化と共に過ごしていければ理想的ですね。



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