絶縁した親戚のこと。~アスペルガー症候群やその他の精神疾患との向き合い方~

山野本竜規

2021年01月07日 15:10



いやはや、全国的にまた寒波が押し寄せてきて
南国沖縄も再び身震いしてしまう真冬の寒さに突入です。
沖縄以上に極寒の地域にお住まいの皆様、どうぞ御自愛下さいませ。

気づけば新年になり今日で1週間。
僕は正月三が日はしっかり休んで翌日、4日から仕事始めとなりましたが、
思いの外、時間がかかる事務作業などを複数抱えており、
まだ完全にそれらの作業が終わっていないため、
土地家屋の鑑定、お祓いのお問い合わせなどをメールで頂いている一部の方々には
まだしっかりとお返事が出来ておりません。
色々ご迷惑をおかけしますが、もうしばらくお待ちくださいませ。

今年はあまりお正月気分に浸ることなく、気持ちを切り替える時間がないまま、
そのまま日常生活に移行した感じなのですが、
こういう1年の始まりも、個人的には良いものなのかなと感じています。

今日も引き続き、色々な事務作業と並行しながらこのブログを更新しているのですが、
沖縄地方は日中の13時台の最高気温で14°、これから夕方にかけてはどんどん気温が下がる予報で
さすがに今シーズン3回目となるエアコンの暖房を稼働させました。

足元も冷えるので、靴下と滅多に使用しないモコモコのスリッパ着用で
身体を冷やさないように事務作業を続けております。





これでも一応、まだ病気療養を継続中でして、
とりあえず年末ギリギリまで続いた言霊の書下ろし、その後の発送作業の見届けまでを終えて
ちょうど1週間が経過しましたが、今のところ、その疲れが激しく出ている様子はありません。

書下ろし直後から5日間ほどは、集中した事務作業を2020年は控えていたことから、
その反動からか文字酔いのような症状が出て、しばらくの間、パソコン画面を見るのは
必要最小限に抑えて、なるべく脳と三半規管、耳と目を休ませるようにして、
お正月三が日を過ぎたあたりから、ようやく文字酔いも治まってきました。

これは全て2019年8月、海外出張中に現地で流行していた謎の肺炎に罹患し、
その肺炎が重症化して緊急入院と手術→帰国をした直後から、
その後遺症による症状の1つなので、もう1年半くらい続いていることになります。

主な治療は肺炎が重症化した時に脳に侵入したと思われるウィルス性の
脳炎の炎症を抑えるための点滴治療などがあり、
これらは今、「筋痛性脳脊髄炎」という診断で、その治療に専念している最中です。

当時はまだコロナが世間に認知される数か月前の出来事で、
これらの謎の肺炎重症化や、その後の激しい後遺症がコロナだとは分からず、
当時の診断書も「肺炎重症化」としか判断できなかったのですが、
その後遺症が、場合によっては僕のように長引くケースもあるため、
今、感染が拡大しているコロナは本当に警戒しておかなければいけない感染症だと痛感しております。

令和3年の今年も、まだそれらが終息する見込みは立っておらず、
自身だけでなく、周りの人たちにも迷惑をかけないように、対面でのカウンセリング、講演会の仕事や、
県外出張などは、土地家屋の鑑定・お祓いの仕事以外、引き続き休止することを決めて、
しばらくの間は、世の中の流れに合わせて、静かに生活しようかと思っています。

今後はオンラインを活用した講演会やカウンセリングが出来ないかどうかの模索も含めて
僕自身の仕事も再構築していく必要がありますが、
言霊の書下ろしで、自身の体力の回復具合を試してみたところ、
まだまだ、多少の無理が効く気力体力、身体には戻りそうになく、
このまま現状維持が出来れば理想的なので、しばらくの間は、頭脳を使う仕事は
引き続きお休みしようかと思っております。

閑話休題。

さて、ここからが今日の本題です。

1年半前のコロナ流行前のコロナ罹患にしても、その後の流れにしても、
個人的に実感したのは、何よりも最優先させるべきことは、自身の気力体力の維持、
精神や肉体の健康を守ることであり、
それさえ最優先出来れば、後からどうにでも生活を立て直していけるというシンプルな事実です。

逆に言えば、身体や精神を壊してまで、やり続けるような仕事、役目、立場なんて
日常の生活の中において誰1人として抱える必要はなく、
やるべきことを精一杯やった後で、無理な時は無理、出来ない時は出来ない、
一旦、全て立ち止まっておきたい時は立ち止まる・・・を決断できるかどうかで、
その後の明暗が分かれてくるものだと思うのです。

何度でも自らの体験、実感でお伝えすることですが、
この世に無理をしてまで、精神や肉体を壊してまでやり続ける何かなんて絶対に存在しませんから、
プツリと何かしらの糸が切れる前に、それらから一度離れてみること、
そして自身の健全な精神、健康、生活を守ることを最優先することを意識しなければいけないなと
特にこのコロナ禍含め、改めて痛感していることでもあります。

例えば家族の介護問題や距離感に関しても然りで、
ワンオペ育児に限界があるように、家族の介護にも個人や身内だけでやるには限界があり、
その限界を超えてしまうと、介護される側というより、介護する側の精神、肉体が
一気に崩れてしまうこともよくあります。

つい最近も介護疲れで、義理の両親を殺害してしまったお嫁さんという立場の女性が逮捕され
執行猶予がつかない、かなり長い実刑判決が出て、
他の身内や外部から「それはあまりにも酷いのではないか。」と情状酌量を求める控訴の話題が
問題になったばかりです。

確かに殺人はこの世において絶対にやってはいけないことなのですが、
そこには家族にしか分からない、のっぴきならない苦しい事情があったり、
まともで懸命、直向きに生きている真面目な人だからこそ、1人で全てを背負い込み、
精神的にも肉体的にも崩壊して、その犯行に及んでしまった・・・ということもあり、
この介護疲れの殺人の件に関しては、全国各地から多くの同情の声、
情状酌量を求める声が集まっているようです。

実はそれだけ家族間の、のっぴきならない事情というものは表に出にくいものであり、
また表に出せないものであり、周りの人たちからは分からないけれど、
その対象人物となる身内のことで、精神的にも肉体的にも崩壊寸前という状況は、
介護、育児、夫婦関係、その他の関わりの中で、いくらでも存在するものなのです。

そして殺人やそれに近い事件など、何かしらの糸がプツリと切れて、その一線を越えてしまう人と、
そうではないギリギリのところで踏みとどまっている人の差なんて、ほとんどなくて、
いつ、誰もが追い詰められたら、精神、肉体共に崩壊してしまう危険性を孕んでいるのが、
家族、親戚間の表には出にくい様々な問題でもあります。

だからこそ、そういう時は、物理的にも精神的にもしっかり距離を置き、
お互いが人間らしくいられるように、健全さを保てるように離れておくことも時には大切なのです。

これ、僕自身もこれまでの経験から実体験として学んでいるので、
全てがただの綺麗事、理想論、机上の論理でしか物事を伝えられない連中の
「家族は絆」「異質なものも個性」「だから全てを受け止めましょう」という
腹立たしい与太話は本当に信用できないと思っています。

どんな家族であれ、親戚であれ、血縁関係というものは、
ほとんどの人たちの間で、綺麗ごとだけでは通用しない異次元というか、
全く理解不能な言動で周りを困らせる厄介者がいるものです。

僕の場合、父方の親戚とは父が亡くなった直後から全て絶縁しており、
もう交流を持つことも何かしらの関わりを持つことも一生涯ないのですが、
こういう連中って、一般常識とか良識など、当たり前にできる会話が
一切通用しない宇宙人でもあるのです。

これはある程度、時間が経って色々調べていくうちに家系的な遺伝による精神疾患、
アスペルガー症候群や、それに付随する発達障害の類だと思うのですが、
父方の親族に限って言えば、ほぼこの類で、とにかく一般常識、良識が全く通用せず、
会話が成り立たないため、いくら努力して
健全なコミュニケーションを取ろうとしても全て無駄に終わりました。

それが例えアスペルガーや精神疾患だと頭では理解していたとしても、
実際、目の前で非常識な言動の数々をぶつけられ、経済的にも精神的にも迷惑をかけられると、
脳の病気だと分かっていたとしても、正直なところ殺意さえ覚えてしまう位でした。

こういう時、その修羅場を経験していない連中は、
「それもその親戚の人の個性です。」
「アスペルガーや精神疾患の人も苦しんでいるから受け入れてあげて。」と
精神崩壊ギリギリのまともな人たちに対して、理想論を述べるのみで、
これは一番、触れてはいけない逆鱗のようなものでもあります。

確かに仰る通り、目の前にいる頭のおかしな人が、非常識な言動ばかりをして
経済的にも精神的にも多大な迷惑をかける人は、アスペルガーや精神疾患で、
それは個性であり、病気のことを理解すべき点も多々あると思います。

ですが、実際、その当事者と何かしらの形で関わり続けなければいけない
血縁関係にある立場の人たちは、「そんなこと分かっているよ!」というのが本音であり、
それでも目の前で散々な迷惑をかけられて、非常識な言動を取られ続けると疲弊してしまい、
「それでも、この個性を受け入れなければいけないの?」
「それでも、やるべきことやっているのに、こちらの器が小さいと責め立てるの?」と
どこかでプツリと、その糸が切れてしまうことが本当に多いものだと思うのです。

アスペルガー症候群やその他の精神疾患は、
普通の見た目や、日常的な会話だけでは周りの人たちは気づかない場合がほとんどです。

何かしらのことで深く関わりがある血縁関係だからこそ、いざという時の言動で
それらが顕著になることが多々あり、これは家庭内、または親戚内だけで起こっていることなので
世間に知られることもなく、表に出ることもなく、とても分かりづらいSOSでもあります。

そしてそういう時に矢面に立たなければいけないのは、
ある程度の社会常識、良識がある、一般的に心ある人たち。

そんな人たちは、周りに気づかれることもなく、アスペルガーや精神疾患を持つ身内や親戚の
フォローばかりをしていくうちに、やがて自身の精神、体力が限界を迎えて、
もうどうすることも出来ないくらい追い詰められてしまうというケースが
見えないだけで、実はかなりの確率で、どこの家庭、親戚付き合いの中にでも存在しているのです。

それは表に出しづらいし、表からは分からないし、
家庭や親戚の限られたコミュニティの中で起こっている出来事なので、
周りから気づかれることは、ほとんどありません。

そのような経緯もあり、僕は父の死後、父方の親戚とは全ての縁を断ち切りました。
僕は医者ではないので全てのことは分かりませんが、
アスペルガー症候群や何かしらの発達障害の類は、遺伝的な要素も多々あると思っていて、
だからこそ親戚、身内の中に、非常識な言動ばかりを繰り返して迷惑をかける厄介者が
定期的に現れるケースもあるのだろうな・・・と、自身の家系を振り返りながら感じております。

ここまでドロドロの人間関係、修羅場、血縁関係にある人間に対して殺意まで覚えてしまうくらいの
経験をしているからこそ、声を大にしてお伝え出来るのですが、
自分の精神や肉体を壊してまで向き合うべき人、仕事、生活なんて絶対になくて、
先ず守らなければいけないのは、自分の身体、精神、生活であり、
それが最優先で守られてさえいれば、その後はどうにでも生活を立て直していけるという事実は、
綺麗事ではない、ドロドロした修羅場を経験しているからこそ分かる事実でもあるのです。

しつこいようですが、繰り返します。

自分の精神、肉体、健康を崩壊させてまで向き合うべき人間関係、仕事、生活、人生なんて
この世には絶対に存在せず、あくまで自分を守ることが最優先であるということ。

それが育児家事にしても、夫婦関係にしても、その他の家族関係にしても、仕事にしても、
僕のような親戚付き合いの絶縁にしても、全てのことにおいて言えることです。

そういう時は、あまり深く考え過ぎず、とにかく物理的、精神的な距離を
それらの当事者からしっかり保って避難すること、違う景色や環境に身を置くことが大前提です。
自分のためにも。

それさえ確保出来ていれば、あとはいかようにでも生活は立て直していけますし、
人間関係において言えば、交流を維持できるまともな人たちとは交流が続くし、
ご縁がなくなる人たちとは薄くなっていくのみ・・・。

特に沖縄では家族、親戚との濃密な関係は最重要視されています。
それが悪いということではなく、もし、そこで周りの人たちからは分からない、
はたまた表には出づらい何かしらの不都合が生じているのであれば、
勇気を出して、そのコミュニティから距離を置く、離れて様子を見てみるという選択肢もあるということ。

それは他の誰でもない自分自身を守るということでもあり、
自分をしっかり守ることが出来れば、あとはいかようにでも
生活や人間関係は再構築できるものなのです。

この世の中には、いくら良識や常識を持って、誠心誠意向き合ったとしても、
その姿勢が全く通用しない宇宙人のような人たちが存在するものです。

多くの場合は、性格や生活環境含め、アスペルガー症候群や発達障害など
何かしらの脳の病気が起因していることが多いのですが、
だからと言って、それらをすべて個性として受け入れ、受け入れる側が
器を大きくして色々な我慢を一方的にする必要なんて、どこにもありません。

先ずは自分を守ること。自分の精神や健康、生活をしっかり守っていくために、
次に出来る行動が何なのかを模索して、物理的にも精神的にも距離を置ける環境を
しっかりと作っておくこと。

僕自身、その経験者だからこそ、机上の論理ではない実体験として
この話題をお伝えしたいと思いました。

令和3年も1週間が過ぎました。
今年1年、どんな年にしていきたいのか、日々の生活と並行しながら
思い描いていくのも、これまた楽しいかも知れませんね。




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