山野本竜規の続・ナカトリモチ日記
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経営者の孤高、葛藤は宿命ではあるけれど。

2024年04月30日

経営者の孤高、葛藤は宿命ではあるけれど。

今日は朝から夕方過ぎまで、
依頼があった様々な仕事を順番にこなしていたのですが、
仕事が終わって帰宅した18時半頃、パタリと電池が切れて
この「魔のインフィニティチェア」に体を預けたのが最後、笑。

*「人を堕落させる危険な椅子。」2024年1月17日

ついつい15分ほどの仮眠のつもりが、気づけば21時前まで爆睡で
自分でもビックリ・・・というより、この椅子の寝心地が
僕にとっては相性抜群でして、この椅子に座ってしまうと必ず寝てしまうので、
ある意味、快眠グッズが増えたと思えばありがたいことなのかも知れません。

ただ4月も今日が最終日、自分自身の4月の振り返りをする時間や
ブログを書く時間も限られてしまい、タイムリミットに追われる
心の中が慌ただしい4月最終日の夜を迎えております、汗。

特にこの4月はカウンセリングや土地家屋のお祓いのナカトリモチの仕事の中で、
県内外の経営者の方にお話しを伺う機会が、いつもより多くありました。

新年度を迎え、組織内の改革や
マンネリ化を防ぐ目的で新しい風を吹き込むための創意工夫、
今後、どのような心構えで組織や個人を通して社会貢献していけるのか等、
個人という枠を超えた、組織全体をまとめる経営者だからこそ対峙する課題などを
それぞれの立場でお話して下さいました。

僕自身、第三者としてお話を伺う立場で、経営者の皆さんと向き合うと、
業種も仕事内容も組織自体も、それぞれ全く違うはずなのに、
「やはり経営者って良い意味で孤高であり、孤独だよな。」という感想の一言に尽きます。

経営者だからこそ、組織やそこで働く人たちの生活や
その背景にある家族の人たちの人生を一部でも背負っているというプレッシャー、
そして先見の明がある直観力に優れた経営者ほど
経営方針に関して、社員や組織の人たちと話し合いをしても、
良い意味で先を見据えすぎていて、なかなか理解されず、
共感を得られないこということもしばしば。

当たり前と言ってしまえば、それまでなのですが、
そもそも雇われの身である社員の立場と、組織全体の経営だけでなく、
その社員やバックグラウンドの社員の家族たちの生活をも背負っている
経営者の立場の視点では、その意識からして普段から全く違うものだと思います。

同じ組織で、同じような仕事をしていたとしても、
経営者と社員では、全く違う職業であるということを
社員自体が理解できていないことも多く、この部分で分かり合おうとしても、
自ら会社を興し、先頭に立つ経験をしていなければ、
実体験を伴った話し合いは出来ないため、経営者と社員の間にある
どうにもこうにも埋まらない溝や葛藤というのは、ある意味、健全な証拠でもあると思うのです。

だから組織や働く人たちのことを、一生懸命に考える心ある経営者であればあるほど、
心苦しく、常にそのことで葛藤しながら、無理解の中でも
前に進む道を選択せざるを得ない発展的な孤高、孤独さがあるのだろうな・・・と
常々感じています。

そして、共通しているのは、一番の葛藤は、
「人が数人以上集まれば、必ず何かしらの誤解や問題が生じて、
人をまとめる立場だからこそ、組織に所属する人の対応で苦労する」という点です。

経営や組織の方向性などは勿論、常に最重要課題でありながら、
ほぼ一年中、一番、苦労されているのが、どのような経営者であったとしても
その組織に所属する「人」の問題。

人にはそれぞれ成長の過程があって、誰もが平等に
その組織が求める就業スキルに達する訳ではないし、
利害関係が絡むからこそ、
個人個人を同じ組織の方向性に馴染ませることは難しい・・・。

従業員のAさんの問題が解決したと思ったら、今度はBさんとCさんが・・・と
年がら年中、何かしらのことで心を砕き、向き合わなければいけないのが
現実的な経営者として一番多い仕事であり、
これこそ経営者の宿命の1つなのではないかなと色々な方からお話を伺いながら
心の中でエールを送っております。

「人が数人以上集まれば、必ず何かしらの問題が生じる」

プライベートの集まりでもそうなのですから、これが仕事でお金が絡み、
利害関係が生じる間柄だと、更に複雑化して厄介な問題に発展してしまうので
職業、業種など一切関係なく、
これが実質的な経営者の大きな仕事を占める部分でもあるのです。

時には組織にとって、周りの従業員にとって
今の状況では、どうしてもその組織から離れてもらわないといけない人に対して
心苦しいながらも、毅然とした態度で、そのことを伝えなければいけないこともあります。

相手には逆恨みをされることもあるでしょうし、
経営者としては正しいことをやっているにも関わらず、
全ての人から理解を得られる訳でもなく、それは本当に骨折り損の立場だと思います。

だからこそ、誰もが出来る仕事、役目、立ち位置ではないのだろうな・・・と。

僕のように個人事業主で、
周囲の心ある人たちの協力で成り立っている職業の場合は、
その仕事だけに専念していれば良い訳で、色々な苦労があったとしても、
経営者の人たちの重責、プレッシャーと比べることは出来ませんが、
全く別物であり、違う立ち位置でもあります。

向き不向きの問題もありますが、
僕には絶対、無理・・・ということだけは自分自身で理解していますし、
逆にそれを背負っておられる方は、素直にリスペクトできます。

世の中には組織やそこで働く人のことなんて一切お構いなしの
クズのような無能な経営者がいる一方、(僕はご縁がありませんが、笑)
ただただ直向きに、組織のため、そしてそこで働く従業員や家族のためを思って
どの道が最善なのかを日々、模索し、葛藤し、苦しみながら
全ての最善を1つ1つ自ら決断して道を切り開いておられる素晴らしい経営者の方々も
多くいらっしゃいます。

僕のような個人事業主や、組織で雇われる立場の人には
到底、理解ができない、または想像もつかないほどの
プレッシャーや責任、関わる全ての人たちに対する愛情を持って
1日、1日、葛藤と模索と「これで良かったのだろうか。」という不安や迷いを
誰にも共感されずに、(そもそも従業員という立場では理解にも限界があるので)
人知れず悩みながら、目の前のことと向き合っておられる毎日なので、
それだけで本当に凄いことだと思います。まさに孤高のお役目だな・・・と。

たとえ気のおけない友人や親しい家族がいたとして、
その話を打ち明けることができたとしても、
その友人や家族は当事者ではないし、経営者の立場に立って
同じプレッシャー、責任感を背負っている訳ではないので
全てを理解してもらえる訳ではありません。

そんな孤高で直向きな経営者の方々の姿を傍で拝見するだけで、
僕はとても尊くて、凄いことだな・・・と常々感じています。

だからこそ、僕を含め当事者以外の第三者は、
孤高な経営者の方々の葛藤や苦しみの全てを理解できなかったとしても、
「可能な限り想像して寄り添う」という心の向け方には
もっと創意工夫できる部分があるのではないかなと思っています。

組織に所属していれば、経営者と雇用される立場の人では
職業自体、仕事自体が全く違う訳ですから、
ついつい同じ組織、同じ仕事だと勘違いして距離が近ければ近いほど、
同じ目線で組織で改善して欲しいこと等を伝えてしまいがちになります。

ですが、そもそも経営者というお役目、仕事は、それ自体が職業であり、
いくら近い間柄、距離であったとしても、他の人には理解できない領域があり、
必要以上に対等であろうとするのは筋違い。

今の世の中、どうしても平等とか対等とか、個人個人の権利ばかりを
主張し過ぎる風潮を良しとする残念な流れがありますが、
経営者と雇われる側とは、明らかに職業やお役目、目線が違うという
一番大切な基本的なことを常に忘れないようにする節度が求められると思うのです。

心ある経営者は孤高で孤独だからこそ、その組織にいる人たちが
何を考え、何を求めているのかを常に知りたいし、寄り添いたいと願う反面、
どうしても経営者の目線、先見の明と、現場で働く人たちの視点、考え方の間には
大きな溝が生じるのが普通のことでもあります。

その立場の違い、視点の違い、お役目の違いを
どちらもしっかり理解した上で、全てを分かり合える訳ではないけれど、
組織として、ある程度、同じような方向に進んでいける間柄を構築することが
経営者の大きな仕事の1つであり、これが常に難しいからこそ、
日々、葛藤、模索しながら1つ1つの勇気ある決断を下していくという積み重ねで
組織が成り立っているということを理解できる人が増えるといいですよね。

組織の中における心ある経営者と心ある従業員。
どちらも、それぞれの立場で一生懸命、日々の仕事と向き合っておられます。

それぞれに信念があり、やり方があり、考え方があるけれど、
どちらも明確にやるべき仕事、お役目は明確に違うという
節度、お互いへの尊敬の念を忘れずに今の社会と共に発展していける
組織、人が増えていくことを願いつつ、
個人個人では何ができるのかに思いを馳せている4月最終日の夜です。

仕事をしている人も、今は違う生活を送っている人も、
全ての人において、個人個人で周りで働く人たち(家事育児を含む)に対し、
どのような配慮、思いを巡らせることが出来るのかを
ふと立ち止まって考える機会が、たまにはあってもいいのかなと感じています。

また少しすると、連休の続きが待っています。
連休中、働いている人も、ゆっくり休んでいる人も、
今の自分の立ち位置、在り方を振り返りつつ、ふと周りにいる身近な人たちに対し、
理解はできないけれど想像はできる範囲内で思いを馳せてみてはいかがでしょうか。




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Posted by 山野本竜規 at 21:43 │心の在り方 (2,645)▼