明日はまだ手つかず。~明日は明日の風が吹く~

山野本竜規

2025年02月10日 22:22

 

まだ先週までのヨーロッパ旅行の感覚を良い意味で
引きずっている感覚なのですが、
5年ぶりの遠出の旅行から戻ってきて、一気に色々な仕事と対峙する
日々なのですが、それでも毎日のように感じるのが
今日のブログのタイトルそのまま、「明日はまだ手つかず」という感覚。

明日はまだ手つかずに丸1日残っているのだから、
慌てたり、焦ることはなく、その1日と心から向き合っていく例えで
使われる言葉でもあります。

まさに5年ぶりのヨーロッパ旅行は、ほぼ目的もなく、
その日1日のスケジュールも前日まで何も決めずに気の向くまま
過ごしていたのですが、それでも、それなりに充実したものになりましたから、
無理に計画を詰め込み過ぎずとも、なるようになる時は
なるようになるものなのだなぁ・・・と。

ヨーロッパでは滞在日数のフリーチケットを手に入れたら、
あとは自由に乗り放題のトラムで目的地を決めず、
たまたま停留所に留まった目の前のトラムに乗り込んで、
知らないエリアまで、ゴトゴト揺られて、気になるお店や街があったら
そこでふらりと降りて・・・という繰り返しが多かったのですが、
これが思いのほか、僕にとっては充実した過ごし方でもありました。

そこに何の意義を見出すわけでもなく、何か特別な目的がある訳でもなく、
ただ自由に自分のその時の気持ちを大切にして、
その場で降りるか、降りないか、車窓をぼーっと眺めているかを決めて
街を散策するだけ・・・という、一見すると何の生産性もない行動なのですが、
どんなに緻密に計算された旅程、スケジュールよりも
このほうが僕にとっては後々、思い出深いものになることが多く、
それが僕の性分にも合っているので、それだけで十分なのです。

まさに「明日はまだ手つかず」という状況。

「さて、今日は何の予定も立てていないけれど何をしようかな。
特に目的も目標もやりたいこともないけれど。」

ヨーロッパ滞在中の毎日は、僕にとって、この連続でもありました。

せっかく普段は行くことができない遠い国、限られた日数、
限られたスケジュールの中で、何の予定も立てず、目的も目標も、
旅自体に対する意欲も熱量も少なめで緩すぎるくらい
いい加減な感じなのですが、振り返ってみれば、これで十分、充実した旅だったのです。

帰国後、毎日のようにナカトリモチの仕事で色々な方と直接お会いしたり、
オンラインでお話をしたりする日々が続いているのですが、
その時にも、この感覚がどうしても忘れられなくなる瞬間があります。

確かに人生には色々なトラブルがあって、思い通りにいかないことだらけ。

そして「先行き不透明だからこそ、不安だからこそ、しっかり動いて、
見切り発車かも知れないけれど、不安を解消するために何かしらのことに
取り組んでいかないことには、自身の心の平穏を保てないのではないか。」と
焦ったり、慌てたりしてしまう姿勢は、誰の心にもあるものだと思います。

ですが、立ち止まったり、じっくり物事を考えたり、
逆に何もしないという貴重な時間と向き合うことも、これまた人生の中では
誰もが時々、必要になる心の栄養素なのではないかなと感じるのです。

まるで僕自身が限られた日数で、遠い国に来ているにも関わらず、
何の目的も目標も計画も立てず、ただその日の気分で、
自由気ままに動いてみることで、
意外なほどに良い1日になることもあったというように。

あまり無責任なことは言えないのかも知れませんが、
だからこそ、日々の生活、人生そのものにおいても、
「明日はまだ手つかず」という心の余裕、余白をどこかに残しておくことが
大切なのだろうな・・・と。

「さて、明日は何をしようか。今日は何の予定もないけれど、どう過ごそうか。」
「まぁ、何もなくても、有意義ではなくても、それもまた今日という1日であり、
とりあえず無事に過ごすことが出来ただけで、それで良しかな。」

それが人として生きる合格ラインであり、
他人様に必要以上の迷惑をかけていないのであれば、
もうそれだけで十分、有意義な1日なのではないでしょうか。

無理にその1日を有意義なものにする必要もありませんし、
どのような1日であったとしても、何の生産性もないような1日であったとしても、
それでも、今日という日を、そして明日という日を、無事に過ごすことが出来るのであれば
もうそれだけで人間として合格点。

個人的な感想で本当に恐縮なのですが、
あの無計画、無気力のヨーロッパ旅行で、その日その日の気分で動いて
それが意外に良い思い出に変わっていったこと、
そして何も考えず自由気ままにトラムに乗って過ごした日々が
あとから振り返ると、とても楽しくて、それこそが「明日はまだ手つかず」の
真骨頂のような気がしてなりませんでした。

どんな1日を過ごそうが、明日がどんな1日になろうが、
それはそれであり、とりあえず今日も無事に1日を過ごすことが出来ただけで
もう十分だと常々感じています。

明日はまた祝日。
仕事という方も、お休みという方も、それぞれにとって良い祝日になりますように。





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